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2008年09月30日

●個展修了して

およそ一年半振りの個展が先日修了した。秋山画廊という原宿と代々木の間にある老舗の画廊。もうこの画廊での個展は7回目となる。随分とお世話になっている。実はこの画廊、コンテポラリーアート専門の画廊として、バブル期以降、多くの画廊が閉鎖される中を生き抜いてきた画廊でもある。再起出発を期しての移転の為数年のブランクがあるのだが、もの派以降の作家を中心とした今では珍しい「背骨の通った」画廊である。今では「もの派ってなに?」と若い世代にはなんだかピンとこない、そんなアートの様変わりではあるが、時代の波に翻弄されずに意思を貫くオーナーの姿勢は「正しい」と、思わず自分の歳と重ねて力が入るのである。
 作品は「地平の器」と題した作品と壁面作品1点だけのシンプルな構成。およそ1年を費やしての作品。結果として満足するということは正直無いのだが、発表前日までは将に自分を信じ、ぎりぎりまで追い込んだ作品との葛藤や闘いの日々に納得し出発するのである。そして現場で作品が組み上がりピリオドとなったその瞬間から、作品は自分から離れ一人歩きして行く。時にはよちよち歩きの子供のように、ある時は荒っぽい若武者のように。つまりいつも未熟なのである。「ここをこうすれば・・、なぜこうしなかったのか・・もっとできたはずなのに・・」と、まぁ反省しきりなのだ。もう手の施しようも無い作品に頭はもう次のプランへと進む。この時とばかりにアイデアがモクモクと立ち上がってくる。
 希望か妄想かあるいはリベンジに燃える復讐にも似た執念か。ほんとにもう諦めが悪いのである・・・・。
そして次がもう始まっている。
そう、休まないのである。
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2007年12月27日

●仮説の通路「万華鏡」

まるで自然の猛威を見せつけられるように地表を覆い尽くす緑。あの夏に見た光景だ。手鎌ひとつで立ち向かうには自然はあまりにも膨大だ。そんな野外での作品制作をここ10数年続けて来たのだが、その中に、ある山村の荒れた畑を再生させた場所に作った作品がある。高さ4メートル、直径6メートルの円柱状の建築物。中は二重構造になっていて扉を開けて入るとそこは真っ暗な闇。原始音が響き、少し佇むとかすかに地面から灯りが浮かび上がる。闇に慣れて中央の空間に進むとそこは太陽の光と水と土の世界。天井には透明な水槽が浮かび、その水を通して光のシャワーを浴びるのだ。その光のシャワーに向かって壁は沸き立つようなディテールで上昇する。
さらに次の部屋に進む。そこはまた闇に包まれる。これもしばらく闇に慣れると、壁面からのわずかな光に照らし出された水の入ったコップが無数に浮かび上がる。
 と、まぁ、ちょっとオーバーアクションで語るとこんな作品。
言ってみればかなり劇的ではあるが、人によってはかなり怖い空間でもある。さらに夏場ともなるとそんなロマンなど消えて蒸し風呂のように暑かったり・・・。
 という訳で、今回思い切って「闇」から「光」へ!!と逆転ホームランを狙っての起死回生「万華鏡ハウス」へとリニューアルを決断!
 屋根を外し、透明な素材に変更し、さらに壁は白へ。我尊敬するジョージア・オキーフ顔負けの雄大な花々を散りばめ、さらに水の入ったグラスが壁面に数百個浮かび上がる・・そんな予定であるのだが。
されど、これが大変・・。低予算、高所恐怖症を克服しながら、梯子を昇り降り、凍てつく真冬の中孤独な作業となる。老体にかなりきつい作業ではあるのだが、きっときっと春には周りの花々に囲まれながら私はここで昼寝をするのである。
 夢よ、まま。
万に花咲く郷土と成り得るか・・・!
乞うご期待を。

「仮説の通路ーshinohara」夏風景
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