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2009年08月22日

●全国夏の講習会!解散!

本日を持って長い長い暑い熱い夏の講習会の全ての日程が終了です!!
全国のトップレベルの美術系高校を中心に集った学生達も、疲れがピークに達し心なし安堵の表情も。最後の課題となった「セント・ジョセフ」をモチーフにしたコンクールも、高校生の大躍進で締めとなりました。
トップ3の結果を出した学生へのささやかな賞品は、「すいか×2個」。そして最後はそのすいかを「王様」のようにみんなに振る舞える!のだ!という若干イベントのノリの盛り上がりで「夏」を頬張りました。
しかし何よりも、本人にとっては遊びへの欲望を抑えて自らの目標に向かって邁進した日々と、その結果こそが褒美でしょう。それにしても彫刻を目指す人は他の科に比べ精神的にも肉体的にも健康的というのが長年の印象です。とてもプリミティブな感性と常に交信しているからかもしれませんね。冷えを欠いた甘いすいかにかぶりつく様もいいですね。皆さん、本当にお疲れさまでした。さらに自分に磨きをかけて、また冬に会いましょう。
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2009年03月09日

●出発

いよいよ明日から東京芸大の試験。一年間の集大成。その日がやってきた。この日ばかりは特別な空気が漂う。嵐の前の静けさにも似ておごそかでもある。

モチーフも様々に準備され、それそれがそれぞれの方法で選択した像と向き合っている。自己の気持ちと対峙しながら。
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講師も全員揃った。こちらは細心の注意をはらいながらも穏やかでにこやかだ。
例年の事だが、この緊張の中で彗星の如く煌めき出す学生が現れることに驚く。人の才能を計る定規など無いのだとまた思い知る。

さあ、皆さん!溜め込んだ全てのものを発散して輝いちゃって下さいね!!


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2009年02月15日

●ゴージャスな卵

恒例となった「全基礎科学生」による「石膏デッサンコンクール」が行われました。
これは、まだコースを選択していない「デッサン基礎」の学生、そして油画、日本画、彫刻のコースの基礎科に在籍する全ての学生(デザイン科は今年度は参加せず)による、一年に一回の全体コンクール。高校1・2年のおよそ120名が参加し、各科の主任、専任、担当講師が採点、講評を行い、トップグループへの表彰も行われる。各科が交流する唯一の場でもあり、そのトップともなる多浪生にも劣らない程のレベルとなる。
コンクールそのものは基礎的な力を見る石膏デッサンでということもあり、各科のデッサンに対する価値観の相違もここではそれ程討論の対象とはならない。ただ、残念なのは、どういうわけか彫刻科の学生が僅か4名と極端に少ないこと。これじゃ日本の未来が危ういよ!この少なさはやはりどう見ても異常。どの美術系の高校へ行ってもこれ程低い比率は無いし、第一、すいどーばた彫刻科へは全国からトップレベルの学生が、指導とその環境を求めて集まって来ると言うのに、学内ではなぜか認知度が低い。まったくもったいない・・・。彫刻の面白さを熟知している私たちにとってはまったく不可解というしか無い。絵画と比べ直接的に情報が伝えにくいということもあるのだろうし、やはり身近な指導者が彫刻の楽しさ、広がり、可能性を身を持って伝えることが不可欠なのだとあらためて思う。
諸君!!彫刻表現は限りなく広く、人間の五感に全てに直結した表現方法なんですよ!!
そう思う人!手を挙げてくださ〜い!!
ちょっとまだ遠慮がち・・・??
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2009年01月30日

●自画像

「自分と向き合う。」
なんとも理性的で奥が深い言葉じゃないか・・・とは言ってももちろんそれ程簡単なことじゃないのだけれど。
デッサンとして頻繁に使われる課題に「自画像」がある。鏡に映し出される自分の顔に何を見るか。長時間の自分との「見つめ合い」は一方で過酷でもある。
美大の入学試験でも自画像は格好のモチーフだ。予算はかからないし、男女の区別は当然ながら、必要とあらば、面接替わりの人間性チェックまで行える内容を合わせ持つのだから。彫刻の基礎訓練としての自画像はしっかりと形態を掴むことに置かれるが、やはり表現される内容は無意識の世界も含め多様でそれに収まらない。自己主張の強さからナルシスト的な自己陶酔まで、隠れた性格も知らず知らずに現れ出る。人によっては自分への根拠を欠いた自信も強力な表現意欲だ。そういえば私自身は、自画像を描いた事も自刻像を制作した記憶も無い事にふと気づいた。自分を見つめることに慣れていない人もいるのだ。そんな私がこれ程までに学生達の自画像を今楽しんでいる。
若き日の自画像、自分と向き合う時間、訓練。こんな大人になってしまったし、やはり必要だったなぁ・・・と悔やまれる。
今日も生きのいい学生が生き生きと自画像を描きあげた。
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2008年12月28日

●晴れ晴れと、次へ

本日で冬期講習会も修了となる。昼のデッサンコンクールでの総評に引き続き、夜の塑造コースのモチーフでは恒例ともなった七面鳥の「ほろほろほろっ〜ほろぉ〜!!!」(なんとも表現が難しいのだが・・・)という脳味噌を根こそぎ揺さぶるような声のとどろきが、最後のファンファーレとなる。

必死に課題に熱中する学生達の空間から学院の屋上に出て空を仰ぐ。
一点の曇りなく晴れ渡る紺碧の空と風。

本当に皆さん、お疲れさまでした。
しばしの休憩を持って、
いっぱいいっぱいいい夢見て、怒濤の明日に向けてしっかり舵をきって下さい。


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2008年08月06日

●夏の闘い

夏の甲子園がうだるような暑さの中で青春のドラマを繰り広げている。そして世界の人々の祭典、中国のオリンピックも紆余曲折を経ていよいよオープニングを迎える。
 こうした百花繚乱にも似た華々しさは、陰に隠れた死闘にも似た闘いと同義である。選手達へのインタビューで「楽しむ」という言葉が頻繁に出て来る。やれることは全てやり尽くした果ての結論なのだろう。このような境地は単純な楽観主義の先にある極めた人が語る言葉として気持ちがいい。鍛え抜かれた肉体、精神の果てにあるものは快活で自由な境地そのものなのだろう。
 
 全国から集った生徒達による夏の講習会。レジャーとも華やかさとも無縁の言わば地味な訓練の日々が続く。その中で悩み、挫折し不安になりながらも闘う学生達。言葉ひとつで泣き出したり、落ち込んだり千差万別の感情が渦巻く現場でもある。
そう、行くところまで行くしかないのだと思う。きっと楽しさも喜びも、そして自由もその中にあるのだから。
 しかし、やはり生徒に泣かれるのはかなり辛い・・・・。笑顔で元気がやはりいいのだが・・・。
 がんばれニッポン!
 がんばれ諸君!!

今日も孤独な夏の闘い
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2008年07月04日

●私の顔

「自刻像」は絵画では自画像にあたるもの。彫刻はもちろん立体で三次元の為自分の頭部を横、背後、上からと自分では見る事のできない箇所までもイメージしながらの制作となる。そしてその観察の為にいくつかの鏡を駆使しながら、いわばナルシスト的に自己に迫り行く。
 彫刻の基礎勉強はその表情より骨格や各部のバランスが優先される。表情は幾千の感情で変化するが、それらは根幹の存在として礎を成しているから、というのがひとつの理由である。しかしそうしたものは現実的に決して見えるものではなく、あくまでも認識し感じるもの。そうこうしているうちに彫刻家は内部に潜むものが見えるようになってくる。想像力とはそのようなものである。つまり見えてくるのである。逆に今まで見ていたものはなんだったのだろうと。逆説的ではあるが真実とはなかなか表面に浮かび上がってこないのである。
私の顔。さてさてあなたはいったい自分の顔にどんな真実を見つけるのでしょうか?

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2008年04月22日

●五月病にはまだ早い

新学期も2週間。桜の花も散り、寒暖の差もおよそ落ち着いて、それにつれて学生の妙に昂った気持ちも落ち着いて来た。このあたりになると学生によっては「フッ」と気持ちの糸が切れて長期の休暇にもう入ってしまう者もいる。
 よく学生に「休んで家で何してるの?」と聞くと、「何にもしてない。」という返答。
私の習性からすると「何もしない」事程辛いものは無いと思うのだが・・・。
 話は違うが、ある友人に久しぶりに電話して「元気?何してる?」と矢張り尋ねると、「じっとしてる。」とのこと。つまり動くとお金がかかるので「じっとして思索に耽る」ということなんだろう。良くも悪くも「う〜ん・・・」と感心するやら悲惨な作家の運命を思うやら心は複雑になる。
 「動くこと」「思索すること」「信じること」、成功の為の3っつの要諦とか。ならば、動く事で思索が始まり、持続することで自分ができると「信じられる」。まずは立ち止まらずに進んで欲しいものである。

2008年03月09日

●それぞれのスタート!

いよいよ受験も最終コーナー。東京芸大の受験が明日から始まります。学生達は好例の三日間のフリーカリキュラムでそれぞれの状況に則した調整。もうここまで来ると講師は大らかに見守るばかりなのですが、こうして見ていると学生はしっかり自己コントロールしながら「ハイテンションでの落ち着き」という矛盾も克服している様子。凄いのは現役の高校生。怖いもの無しの突っ込みで一気にレベルを上げて来る。やはりパワーは上達の基本なのだ。
「全てを出し切った者が勝利を手にする。」
「一年の汗あり涙あり笑いあり叫びあり!!」
なんだか美術じゃなくてアスリートの話しみたい。
若きアートアスリートの皆さん!!爽やかに鮮やかに走りきって来て下さい!!
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2008年02月09日

●工作人間

彫刻科の教官室は基本的に自由に出入りすることができる。ここには沢山の美術本は勿論の事、悩める学生を覚醒?させてくれるすいどーばた何十年の歴代優秀デッサン資料があり、時間を問わず見ることができる。その為か時には学生達の優雅な休憩室となっていることさえある。
 となると、「鬼のいぬ間」とばかりに教師や教務の留守を突いてなにやらしでかす輩達が出現する。とは言ってもかわいいユーモアやウイットに満ちた、あるいは無邪気で何気ない自己アピールにも似たものなのだが。例えば教師の似顔絵、中身の抜かれ再梱包された疑似チョコレート、文字入りメッセージ、イラスト等々といろいろである。別の見方をすればここは物作りの好きな工作人間達の集まりである。「基本を身につける」とばかりに、厳しい訓練にも似た受験勉強の中で、ある意味鬱屈された気持ちがささやかに発散された素直な姿とすれば、それはそれでうれしいし、何だかこうした学生の勝手な置き土産は実は密やかな楽しみである。

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2008年01月20日

●センター試験の静寂

センター試験が始まった。美大受験生にとっては将に鬼門。「学科勉強が苦手だから美術してるのにい〜」とか「美術に夢中で学科勉強の思考回路停止なんですう〜」といった自己弁解もこの時ばかりは空しく、無くなりかけたマヨネーズの入れ物から将に絞り出すような必死さに変化する。勿論こうならないように一年かけて説得もし「脅し」もし「懇願」もしてきたのではあるが・・・・。
 よく、昔の受験生で「実技はトップだったけど学科が〇点で芸大落ちた、んだぞ!」と自慢げに話す人が沢山いる。実際には美術だって「筋肉」で物事を生み出す訳ではないのだから「思考」回路は重要なのだが・・。
 この手の話しは作家が自分がいかに貧乏であるかを自慢し合う状況にも似ていて興味深い。純粋であることの証明には「悲劇?」は付き物とでも言いたげで。
  
 さて、どばた彫刻科の中でも近年著しい現象がある。それはこのセンター試験前の1週間?10日間は学生の出席が著しく減って行くという現象。昨年はなんと試験前日には「0人」となってしまった。珍事ではあるがリアルである。学科予備校では「エイ、エイ、オー!!」の掛け声で気合いを入れる光景がテレビで流れるのだが、逆である。人っこ一人いない閑散とした静寂がアトリエを包む・・・。これが美大予備校の悲しき現実なのかと呆然とする。
 一夜漬けで鍛えた脳みそが、マークシート式の鉛筆転がしの運試しに効力を発揮するか。悲しき予備校生のチャレンジは本日クライマックスなのだ。
 
 「諸君の未来圏から吹いて来る 透明な清潔な風を感じないのか」
宮沢賢治
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アトリエより飛行機雲を望む

頑張れ受験生!!

2007年12月27日

●冬の甲子園

冬の講習会も最終に近づいて来た。こうした講習会を受講する地方からの学生の殆どが高校生(それに最近は高校1年や2年生も増えましたね)。親元を離れて一人、朝9時から夜の8時までハードなカリキュラムに怯む事無く最後の力を振り絞っています。カリキュラムによっては朝から夜まで立ちっ放しで塑造作品に取り組むことにもなる。将にスーパーハードな「合宿」のようでもある。
 遠く鹿児島から、そして東北からと、将に全国の美術系高校等から集まった優秀な学生ばかり。正直、美術系高校さえ無く、ましてやこうして東京の講習会に参加するなんて発想も環境も無かった自分の学生時代を思うと、こうしたアクティブな環境での体験は将に貴重で「羨ましい〜!」とも思ってしまう。とりわけ彫刻を目指すというのは美術の中でもかなりの少数派。そうした目で学生を見ていると、この中から確実に日本を背負う作家が登場するだろうとの確信に至る。不夜城の如くに熱気に包まれたアトリエ、全国から選ばれた俊英達がそのイメージと想像力と精神力を競う美術の「冬の甲子園」。
 全入時代と言われる今日の受験にあって、この空間はそうした安易な状況に流されることなく高いビジョンへの意思が感じられる。
 さてさて、クライマックスに向けて、もうひとがんばり!!ジェットの力を緩めずに、皆さん行ける処まで行ってみて下さいね。普通も平均も要りません。どこまでも自分らしく突っ走って下さいね。

2007年06月29日

●自由?制作

前期カリキュラムのクライマックス?「自由制作」も、何とか展示まで漕ぎ着けた。
 今年はそこそこにバリエーションも多いような気がする。学生のタイプもコンスタントに自己研鑽に取り組む、いわば生真面目な学生が大半を占め、その意味では全体的な手応えはある。
まぁ、この「自由」というのがくせ者なのだが、意外と「自由に作りなさい」と言われると戸惑ってしまう学生もいる。与えられた課題のみに反応することの危うさをこうした経験で自覚する学生も中にはいる。また、普段の石膏デッサンや塑造学習では知ることのできない学生の全く別の側面や感性、性格、才能が浮かび上がるのもこの自由制作課題の面白さである。時代を反映してか、矢張りフィギュアー系からアニメか風まで、昨今注目される「サブカルチャー」の影響もこうした場面で顕著に現れる。何やら妙に自分の庭も目に見えないウイルスに冒されたような気分にもなるのだが、実を見ればそうした学生の作品はかなり徹底して「小細工のウルトラC(笑)」程のこだわりと他者を寄せ付けない自己宙の表現への欲望は、ある意味こちらをうならせる。
 人の突進をさりげなく避ける力の抜けた作品、素材にこだわる者、ミニマルに言葉を削ぎ落とした作品、女性らしい想いを素直に表現した作品等々、若干の技術的なアドバイス以外はしないこうした課題は、学生達にとっても自分の部屋に案内するようなそんな別の意味での多くの精神的交流ができたのだろうと想像する。 やはり彫刻は楽しい!! 皆さん、ご苦労様でした!!
はやく大学入ろうね!もっともっと自由な世界が待ってますよ〜!!

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2007年06月12日

●生き生きと

彫刻科コースには昼間部と夜間部があります。昼間部は浪人生、夜間部は高校生を中心に社会人の方も一緒に学習にはげんでいます。
 以前は東京芸大を目指す多浪人生や学費の問題で夜間部へ通う学生など、その幅も広く、世代間を超えた学習環境はいわば夜間部の特徴とでも言えるものでした。
 近頃の特徴はやはり女子学生を中心にした花園と化した感があります。彫刻の世界もやはり女性のパワーに溢れているんですね。
 そんな中で定年退職されてから彫刻を学びたい、という方もいらっしゃいます。そうした人たちの、大学受験とは別の意味での真摯な学習意欲には感心させられます。
 こうした方の作品は時に非常にストレートです。溢れんばかりのあの存在感。目の前にある事実を超えて何かドキッとする程の造形が登場してきます。
 いわゆる「基礎」を指導するべき立場にありながら、思わず「いいじゃないですか!」とうなずいてしまうことが多々あります。
「基礎」を学ぶ。つまりはこうした存在感を伝える手法としての基礎。それならば、様々な人生経験、体験がいわゆる彫刻の基礎というものを凌駕しているのかもしれませんね。
 拍手喝采!

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2007年05月10日

●何やらあやしい、、、

カリキュラムの決定は、スタッフのかなりの話し合いの中で決定される。その年の学生の質やキャリアなどを総合したうえ、長期的ビジョンに照らして学生に提案、提供されていく

今回の塑造もそんな中のちょっと変わったカリキュラム。

「自分の頭骸骨を作りなさい」
要するに、首像制作の形態の意識をしっかり持ってもらおう!というものだが、それにしてもなにやらその光景は怪しい、、、。
正直私なんかは自分の身体の中に骨があるなんて考えただけでゾッとしたくらいだから、ストイックに3日間も「骨」と付き合うなんていくら向上心があっても無理かな?・・・なんて思いながら、「やっぱり目的意識を持った学生はすごい!!」と内心感心しながら、幾つもの頭骸骨が妙に笑顔に見える地下アトリエを後にしました。
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