●作家の朝3
久しぶりの再会であった。銀座のギャラリーの個展会場で作家の館山拓人君に会った。学者、医学者、エリートサラリーマン、う〜ん、それから・・、そう、つまりはとても知的であり生真面目でありにこやかであり、いわゆる負のイメージがない。誰に聞いてもその印象はそれほどづれてはいない。
彼には以前、すいどーばたで講師をしていただいたことがある。やはりとても熱心(額の汗は特徴的である)で分析的でいわゆる野蛮性というものが無い。こういう人間性は私とは真逆で、私がこうなりたいと思える要素を沢山持っていて、会うと何か気持ちが救われる人種である。別れた後の空気感も実にいいのだ。彼の身に不幸など有り得ないと思えてしまうのは私だけではないだろう。
それはそうと作品である。まずはその木彫の大きさと労力に感心した。近頃の木彫作家の作品は違わずに、彫ることで観る側を圧倒させるという基本ラインがある。話しはそれを超えて始まる。
作品イメージは千手観音から受けたという。数体の胴体が集まりねじれながら集険し個性を備えた多数の手となって炸裂していく。金箔という華やかさもあってか、熟考する精神や沈殿する記憶といった寡黙な領域とは別の、エネルギーに満ちて虚空へと発信される無機質な命にも見える。手の持つ百の様相と単純化された顔のイメージのギャップがさらにそれを煽る。
この知的、科学者のような作者が無数に開かれた手の先に何を見ようとするのかは想像するしかないが、存分に怖さや不気味さも備えていて、やはり、どうも、きっと実は怪しい人間なのである。なぜなら、真っ正直でまっすぐな人の道のささやかなズレはそれ以上に際どさを放つ。見た目の人間性と作品が同列でイコールなんて、そう簡単にはならないのだから。
少し、怪しい写真に仕上げてしまいました・・。