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2009年02月20日

●薄氷花

雪になりそうだという昨夜の天気予報。試験の始まった受験生にはこの時期の雪は厄介者だ。天気だけでも穏やかであれと願ってしまう。3月も近く雪は降ってはすぐに溶けるとは言え、朝の通学や試験会場までの交通への影響を考えるとやはり辛い。
幸い、今朝の雨は雪に変わる事もなく、午後には青々とした空がこうして広がっている。

 「雪は天から送られた手紙である」
この言葉は、日本の雪の研究の草分け的存在、中谷宇吉郎の言葉である。特に雪の結晶の生成は神秘と謎に満ちているのだという。
寒さの中でも心は凍らせることなく、光を浴びて輝ければいい。そして神秘や謎への興味は好奇心のスイッチをオンにさせる。くたくたになった受験生だからこそ、自然のささやかな出来ごとにも心を踊らせて。
 きっと良い知らせは届くはず。

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2009年02月17日

●梅の花

春一番も吹き、夏日にも近い暖かさという異常気象のおまけまでついたこの一週間。また寒の戻りで「やっぱり、ほら。」と気を引き締めて。一方でヒートアップしてきた受験は急上昇で加熱!!!。でも受験生には夏日どころか寒さも暑さも気にしていられない、ここ一番の勝負所。
受験対策の為の課題も多数を極めて、そのためのモチーフが次々と惜しげも無く消費されていく。安価な季節の植物は格好の課題モチーフだ。
 というわけで、ほらもう「梅の花」。過熱気味の気持ちを抑えるかのようにほのぼの。
なんだかやっぱりがんばった人には春が来る。


「梅一輪 一輪ほどの あたたかさ」
                 服部嵐雪

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2009年02月15日

●ゴージャスな卵

恒例となった「全基礎科学生」による「石膏デッサンコンクール」が行われました。
これは、まだコースを選択していない「デッサン基礎」の学生、そして油画、日本画、彫刻のコースの基礎科に在籍する全ての学生(デザイン科は今年度は参加せず)による、一年に一回の全体コンクール。高校1・2年のおよそ120名が参加し、各科の主任、専任、担当講師が採点、講評を行い、トップグループへの表彰も行われる。各科が交流する唯一の場でもあり、そのトップともなる多浪生にも劣らない程のレベルとなる。
コンクールそのものは基礎的な力を見る石膏デッサンでということもあり、各科のデッサンに対する価値観の相違もここではそれ程討論の対象とはならない。ただ、残念なのは、どういうわけか彫刻科の学生が僅か4名と極端に少ないこと。これじゃ日本の未来が危ういよ!この少なさはやはりどう見ても異常。どの美術系の高校へ行ってもこれ程低い比率は無いし、第一、すいどーばた彫刻科へは全国からトップレベルの学生が、指導とその環境を求めて集まって来ると言うのに、学内ではなぜか認知度が低い。まったくもったいない・・・。彫刻の面白さを熟知している私たちにとってはまったく不可解というしか無い。絵画と比べ直接的に情報が伝えにくいということもあるのだろうし、やはり身近な指導者が彫刻の楽しさ、広がり、可能性を身を持って伝えることが不可欠なのだとあらためて思う。
諸君!!彫刻表現は限りなく広く、人間の五感に全てに直結した表現方法なんですよ!!
そう思う人!手を挙げてくださ〜い!!
ちょっとまだ遠慮がち・・・??
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2009年02月02日

●作家の朝3

久しぶりの再会であった。銀座のギャラリーの個展会場で作家の館山拓人君に会った。学者、医学者、エリートサラリーマン、う〜ん、それから・・、そう、つまりはとても知的であり生真面目でありにこやかであり、いわゆる負のイメージがない。誰に聞いてもその印象はそれほどづれてはいない。
彼には以前、すいどーばたで講師をしていただいたことがある。やはりとても熱心(額の汗は特徴的である)で分析的でいわゆる野蛮性というものが無い。こういう人間性は私とは真逆で、私がこうなりたいと思える要素を沢山持っていて、会うと何か気持ちが救われる人種である。別れた後の空気感も実にいいのだ。彼の身に不幸など有り得ないと思えてしまうのは私だけではないだろう。
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 それはそうと作品である。まずはその木彫の大きさと労力に感心した。近頃の木彫作家の作品は違わずに、彫ることで観る側を圧倒させるという基本ラインがある。話しはそれを超えて始まる。
作品イメージは千手観音から受けたという。数体の胴体が集まりねじれながら集険し個性を備えた多数の手となって炸裂していく。金箔という華やかさもあってか、熟考する精神や沈殿する記憶といった寡黙な領域とは別の、エネルギーに満ちて虚空へと発信される無機質な命にも見える。手の持つ百の様相と単純化された顔のイメージのギャップがさらにそれを煽る。
この知的、科学者のような作者が無数に開かれた手の先に何を見ようとするのかは想像するしかないが、存分に怖さや不気味さも備えていて、やはり、どうも、きっと実は怪しい人間なのである。なぜなら、真っ正直でまっすぐな人の道のささやかなズレはそれ以上に際どさを放つ。見た目の人間性と作品が同列でイコールなんて、そう簡単にはならないのだから。

少し、怪しい写真に仕上げてしまいました・・。
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