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2008年12月28日

●晴れ晴れと、次へ

本日で冬期講習会も修了となる。昼のデッサンコンクールでの総評に引き続き、夜の塑造コースのモチーフでは恒例ともなった七面鳥の「ほろほろほろっ〜ほろぉ〜!!!」(なんとも表現が難しいのだが・・・)という脳味噌を根こそぎ揺さぶるような声のとどろきが、最後のファンファーレとなる。

必死に課題に熱中する学生達の空間から学院の屋上に出て空を仰ぐ。
一点の曇りなく晴れ渡る紺碧の空と風。

本当に皆さん、お疲れさまでした。
しばしの休憩を持って、
いっぱいいっぱいいい夢見て、怒濤の明日に向けてしっかり舵をきって下さい。


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2008年12月23日

●地下室の熱情

サブプライムローンで始まった世界経済の悪化は、軒並み日本経済も飲み込んで派遣切りやら何やらと、クリスマスの喧噪も吹き飛ばす程の暗闇である。流れるニュースも、事件やら破綻やらと暗さを競うようでもあって何か妙である。その意味で言えば予備校界とて例外でもなく、親の経済はもろに子供にもその教育まで響く。講習会を受講する遠方の学生にとって、期間中のレンタルマンション住まいの予備校通いもそうそう簡単にできるものではない。学生の自己成長にかける「熱意」と親の「理解」も、そしてそれを実現させる「経済力」も、魔法の杖ならぬこうした3点神器が揃って成立となる。
 今年最後を締める「冬期講習会」も最終コーナーへ。塑造制作に勤しむ学生達。地上の寒風とは別世界の熱烈熱情のエネルギーが充満する。

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2008年12月15日

●RE:展

今年で三回目となる彫刻科講師展が始まった。
この展覧会のきっかけは、「すいどーばた」という教育の場を共有する私たちが、講師と学生、そして彫刻(家)という関係の特徴を織り込みながら、何かメッセージを発することができないか、との思いからであった。ただ下地には、偶然とは言え、世代を超えて集まった講師の作家としての共用性、そしてともすれば単調ともなりかねない受験へのカンフル剤ともなればとの思いもあったのだが、実際には言葉で指導する講師にとって、作品は将に自己の生身を曝すことであり、グループ展とは言え、そうそう半端にはできるものではない。「少しは俺らの力を学生に見せてやろーじゃないか!」ぐらいの鼻息の荒さも少なからず必要なのである。

 話し合いの上決定した「RE:」とは。
若き学生達と同様に、私たちにも確かに存在した、自らを彫刻の道へと導いたなにものかの体験や記憶、そして出会いとしてのオマージュへと追想、回帰してみることで、それぞれの原点や制作の根源をあらためて見つめ直してみる。これをコンセプトして隔年毎に違うテーマを設けながらの実験的展示を行っていく、というものとした。
 そして今年度のテーマは「現場」。
以下が展覧会のメッセージである。さてさて、いかなる結果となることやら。

RE:2008
-彫刻家の現場-
7人の場合
 彫刻家が彫刻を産み出す現場。それは素材が形へと変容を遂げ、彫刻として成立していく瞬間をも意味する。同時に空間としての環境、時代としての背景とも関係しながら、彫刻家は将にその現場で自らの手法を持って彫刻の生成の為に格闘するのです。

 今回の「RE:2008」では、各作家の作品と同時に、作家が織り成す様々な現場との関係をも紹介しながら、作家の生きる「形」に迫ろうとするものです。

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2008年12月05日

●光の通路

すいどーばたは目白駅と池袋駅のちょうど間に位置する。目白から進む最もポピュラーな道は、駅前の目白通りを道沿いに数分歩いて直角に折れ、いわゆる高級住宅と一般的に呼ばれる住宅街を行くだけで着く道のりである。この道に飽きるともっと細い路地を「ジグザグ」を繰り返しながら到達する方法に切り替える。しっかり手入れされた庭を持つ住宅が続き、植物や庭の好きな私には飽く事の無い光景が続く。低層の家並みは裏道に回れば回る程庶民的で、玄関先のささやかな庭作りを観察するだけでも、そこそこに季節の変化さえ感じられて嬉しい。実は『池袋ウエストゲートパーク』で名を馳せる石田衣良の小説の中にも、この裏道にある「目白庭園」あたりが舞台として設定されているくだりもあって、ちょっとした観光気分にもなれるのである。
 一方、池袋からの道ともなると、駅前周辺の高層ビル群を背中にやや複雑な道を歩くこととなる。特徴はその高層から一気に低層に入るその風景の変容だろうか。池袋駅まで5分の住宅地ともなればかなりの利便性も高く、住宅地はまるでしのぎを削るような密集度となる。こうした場所にはおよそ信じられない「路」が存在する。これが面白い。人がやっと一人通れる程の空間が200m程続く。人の庭先、軒先をかすめるように通る。こうした路がどんなふうにできたのか、想像力を刺激する。普通ならこの路を歩く必要性も意味も無いのだが、この路を一人通り過ぎた瞬間、何やら懐かしい秘密の路を抜けたような開放感に浸るのである。 
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