●濃く深くトルコ
今日はあったかいコーヒーがいい。そんな肌寒さ。一気に20°を切った。学生も無言に気合いが入っているだろう。寒さと気合いはイコールなのだ!!と学生の真剣さを想像しながら、腰を痛めて出講もできない自分を無理矢理に鼓舞してみる。
コーヒーと言えばトルコのコーヒーを思い出す。トルコの飲み物と言えば一日10杯は飲むという「チャイ」という紅茶。とても爽やかで飲みやすい。一方の「トゥルク・カフヴェスィ」、つまり「トルココーヒー」は粉ごと煮出して上澄みだけを飲む、日本人にはかなり濃い飲み物。自ずと沈殿したコーヒー粉が底に溜まる。そのコーヒーを飲み終わったらカップごと逆さにして受け皿に置く。しばらく置いてカップの中を覗くと、カップの内壁を伝ってコーヒー粉が落ちて行く模様ができる。その模様でその人の性格判断や将来を占うのである。これが実によく当たるのである。「だって、あなた、僕の事知ってるでしょ?!」と、占い事には異常に疑い深い私なのだが、こうした占う人の一言一句の文学的な言い回しについ頷いてしまうのである。朗々と謳い上げるように真剣に人生を語ってくれる。たったひとつのコーヒーで、それも飲み終わったコーヒーがさらにコミュニケーション役割を果たす。小さなコーヒーカップは濃く味わい深いのである。
痛さで動く事もままならない今、メタボへの道と知りつつ流し込むミルクの軌跡を追いながら、展覧会の展示を終えたあの寒い冬、イスタンブールのボスボラス海峡を眺めながら飲んだコーヒーを思い出すのです。
「わたしのわたしのコーヒーさん、あしたのわたしをおしえてください・・・。」
今日の白いミルクは、表面をくるくる回りながら無音で溶けていくのでした。