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2008年09月30日

●そこはかとなく

秋とはいえ、まだ暑さが残っている。今年は学生、講師で行く恒例の夏山登山も腰を痛めてキャンセル。雨男である私の不参加は、矢張り近年に無い「快晴」の中の登山で大成功!との連絡。学生達の顔を思い浮かべながら、取り敢えず安堵するものの何とも素直に喜べないこのモヤモヤ感・・。残念なことに人の喜びより自分への悔しさが勝る、ほんと、心のひろ〜い大人にはまだ成りきれていないのだ。
 今年の登山は学生数の減少にありながら今までで最も多い参加数と聞き、彫刻科の同族意識の強さをあらためて見せつけたと同時に、彫刻科連中の自慢は肉体なのだということを図らずも証明する形となった。つまりは最も体育界系に近いというべきか。そして毎年、登山した学生の合格率が高い!というジンクスが今年は崩壊しないようにと祈るばかり。
 
 ひと時の高揚した精神が夏の象徴であろうか。思い出は確実に彼らに刻まれた。
朝顔の花はまだまだ絶え絶えの大輪を咲かせている。役割を終えた石膏像は初秋の雨に濡れている。悲喜こもごもの秋がやって来る。精神の炎を燃やす季節がやって来る。頑張れ諸君!!
あの山の頂きを忘れるな〜!!快晴の空を掴み取れー!!

●個展修了して

およそ一年半振りの個展が先日修了した。秋山画廊という原宿と代々木の間にある老舗の画廊。もうこの画廊での個展は7回目となる。随分とお世話になっている。実はこの画廊、コンテポラリーアート専門の画廊として、バブル期以降、多くの画廊が閉鎖される中を生き抜いてきた画廊でもある。再起出発を期しての移転の為数年のブランクがあるのだが、もの派以降の作家を中心とした今では珍しい「背骨の通った」画廊である。今では「もの派ってなに?」と若い世代にはなんだかピンとこない、そんなアートの様変わりではあるが、時代の波に翻弄されずに意思を貫くオーナーの姿勢は「正しい」と、思わず自分の歳と重ねて力が入るのである。
 作品は「地平の器」と題した作品と壁面作品1点だけのシンプルな構成。およそ1年を費やしての作品。結果として満足するということは正直無いのだが、発表前日までは将に自分を信じ、ぎりぎりまで追い込んだ作品との葛藤や闘いの日々に納得し出発するのである。そして現場で作品が組み上がりピリオドとなったその瞬間から、作品は自分から離れ一人歩きして行く。時にはよちよち歩きの子供のように、ある時は荒っぽい若武者のように。つまりいつも未熟なのである。「ここをこうすれば・・、なぜこうしなかったのか・・もっとできたはずなのに・・」と、まぁ反省しきりなのだ。もう手の施しようも無い作品に頭はもう次のプランへと進む。この時とばかりにアイデアがモクモクと立ち上がってくる。
 希望か妄想かあるいはリベンジに燃える復讐にも似た執念か。ほんとにもう諦めが悪いのである・・・・。
そして次がもう始まっている。
そう、休まないのである。
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2008年09月08日

●そこにあるもの

仕事をしていると何気なく目にとまるものがある。生活の中でもそうなのだが、人が動くとそれに連れて物も動く。正確にはものが散らかって行く。健忘症の私は特にその傾向が強い。別に何の美意識が働くわけではない。しかしどうだろう。ふと自分の行為の軌跡の中に、あるいは生活習慣が作り出したものの中に、意味も知れずその存在の美しいと感じることができる瞬間がある。それは多分に自意識の中でしか成立しないものなのかもしれないが、それがどれだけささやかなものであれ、まるで自分の宇宙に飛び立ったような喜びに満ちるのである。

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