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2008年08月23日

●夏の香り

長い夏の講習会が今日終わろうとしている。昼コースの最終日は恒例のそれぞれの成果を問うコンクール。学生達は採点の間、緊張の面持ちで結果を見守っていた。一方でこの緊張感を根こそぎひっくり返す程の強烈な臭いが館内、アトリエに漂っている。こちらも夏恒例の夜間塑造課題の最終モチーフである羊、ヤギの「生」な臭いだ。
まぁ、言ってしまえば糞尿の臭い。コロコロの納豆仕立ての糞のかわいらしさに比べて際立つ臭いは液体の方。放たれ広がり蒸発していくエネルギーと共に発散し湯気立つ程の臭い。臭いは存在の強度そのものだ。と表現してみたところで、つまりは凄く強烈に臭いのだ。吹き抜けになった本館の中央はもう彼等の棲み家となっている。犬のマーキングとかそんな生優しいものじゃない。その中央から放たれた彼等のエキスは、絶え絶えになるまで頑張り通した学生に「運(うん)」と「命」の存在を最後の最後に彼らの神経を逆撫でるように与えて行ったのです。きっときっといつか必ず糞尿の香りと共にすいどーばたを思い出すことでしょう。
しかし、ご存知ですか?この臭い、その中にしばらくいるともう同化してしまうのです。
私だって動物なんですから。
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2008年08月19日

●動き出す

[引込線」という展覧会が所沢にある西武鉄道の旧車両工場にて始まる。「所沢ビエンナーレ・プレ展」と位置づけられたこのプロジェクトは,戸谷成雄、遠藤利克、山本糾等70年代後半から日本の美術を牽引してきた作家達と若手のアーティスト、そして批評家、学者、思想家、美術教師、美術館員といった美術を構成する全ての人に参加してもらうというものである。コンセプチュアルアート、インスタレーション、ミニマルアート、モノ派といった言わば静謐な思考と精神を伴った表現時代を経て来たアーティストの現状アートへの挑戦の様相でもある。「オヤジだってもう黙っちゃいられねぇ!」という雄叫びとパワーが感じられて同世代としては心地良い。
当面、所沢在住作家を中心にとその結束の固さは感じるが、酒を飲み過ぎての強烈な酩酊論議をもまた想像してしまうのも同時代を生きて来た者のこれも過ぎたるイメージか。ともあれ「美術思想とは表面から闇に向かって垂直におりて行くパースペクティヴを獲得する『知』であり、取り戻すべきは闇を含めた存在の全体性の回復である」のメセージに託された活動の行方に注目である。www.tokorozawa-biennial.com

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2008年08月16日

●熱い氷

真夏日が続く続くまだ続く。そしてそう、予備校にお盆も正月も無いこの現実。特に夏は忙しい。それに全ての夏休みを講習会に捧げる熱き若者と時を過ごすのだから半端じゃない。彼らにとっては一夏でも私には何十年と続いて来た夏でもある。この時期、利きすぎる程の冷房にゾッとしながらガラガラの通勤電車に乗るのも気楽でいのだが、何かギャップがある。やはり夏はあの鬱陶しい程の満員電車がいいのだ。夏は熱くて賑やかで雑踏に満ちたカオスがいいのだ。疲れ果てて汗だくになって飲むビールがいいのだ。夏を涼しく乗り切ろうなんて・・・甘い。
真っ赤な燃えるような「氷」の文字に「涼しさ」を感じながら、氷さえも熱く燃える夏を思い気合いを入れ直すのである。講習会諸君!もう少しがんばりましょう!!
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2008年08月06日

●スコール

今年の夏は何か異常だ。真夏日の空に沸き立つ不穏な雲。劇的なドラマの始まりならワクワクなのだが、何かが違う。天変地異の予感は百鬼夜行の恐怖感さえ漂わせる。ニュースでの様々な事故は都市でも地方でも隙あらば人を飲み込んでしまう。事故の無念さは筆舌尽くし難く悲しすぎるが、一方で自然への畏怖感や野生としての直感の欠落への警鐘であるならば、失われた何かを呼び覚ますチャンスとなるのかもしれない。
 今日も熱帯を思わせるスコールのような雲、風、雨、稲妻。自然のエネルギーに麻痺した感覚を覚醒させながら夕暮れの鮮やかな夕日に佇むのです。
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●夏の闘い

夏の甲子園がうだるような暑さの中で青春のドラマを繰り広げている。そして世界の人々の祭典、中国のオリンピックも紆余曲折を経ていよいよオープニングを迎える。
 こうした百花繚乱にも似た華々しさは、陰に隠れた死闘にも似た闘いと同義である。選手達へのインタビューで「楽しむ」という言葉が頻繁に出て来る。やれることは全てやり尽くした果ての結論なのだろう。このような境地は単純な楽観主義の先にある極めた人が語る言葉として気持ちがいい。鍛え抜かれた肉体、精神の果てにあるものは快活で自由な境地そのものなのだろう。
 
 全国から集った生徒達による夏の講習会。レジャーとも華やかさとも無縁の言わば地味な訓練の日々が続く。その中で悩み、挫折し不安になりながらも闘う学生達。言葉ひとつで泣き出したり、落ち込んだり千差万別の感情が渦巻く現場でもある。
そう、行くところまで行くしかないのだと思う。きっと楽しさも喜びも、そして自由もその中にあるのだから。
 しかし、やはり生徒に泣かれるのはかなり辛い・・・・。笑顔で元気がやはりいいのだが・・・。
 がんばれニッポン!
 がんばれ諸君!!

今日も孤独な夏の闘い
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2008年08月01日

●庭園美術館と舟越桂

東京都庭園美術館で開催されている「舟越桂 夏の邸宅」の内覧会なるものに行った。庭園美術館というアール・デコの装飾に彩られた空間と舟越氏の作品との静かな関係が穏やかに深く美しい。こうしたパーティー形式のものへの参加はひどく苦手で腰が引けるのだが、なかなか有意義だったし興味深かった。ひとつには久しく会わなかった多くの知り合い、友人達と再会できた。作家の舟越氏のスピーチにも感心する。気取りも無く常に自然体で他者に対する敬意が感じられるのが心地良い。舟越氏の作品は今まで全て発表毎に見てきたものであったが、矢張り空間との対話が感じられ、初めて入った美術館への関心もあって新鮮であった。
 当の舟越氏は順番を待つ客人に疲れを知らぬかのように笑顔で対応して、私など入り込む隙間も無い。失礼とは思ったが強引に分け入り退席の挨拶を交わし失礼した。
 帰りしな庭園を覗いて見る。木々に囲まれた緑の芝生に真っ白な大理石の抽象彫刻がまばゆく輝いていた。「やはり彫刻はいい・・・」と豊かな気持ちになる。

10月、舟越氏が我が学生の為に来てくれることが決まった。恐縮である。

彫刻へのまなざしが洗われることを期待して。
http://www.teien-art-museum.ne.jp/exhibition/funakosi/index.html