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2008年03月22日

●無言の幸せ/無言の恐怖

恒例の講師旅行に行って来ました。1年に1回の全員参加の旅行。毎年行き先は様々で数年前迄は核安ツアーでの海外旅行だったのですが、学校の仕事も多忙となり近頃は一泊程度で行ける温泉を中心とした旅行に変わりました。
1年間この旅行の為に積み立てを行うという地道な力の入れようで、こうでもしないとなかなか旅行なんて行かないという現実もあって、これはこれでまるで修学旅行のようで妙に待ち遠しく楽しいのです。ただ私が突出して年齢が離れていますから、なるべく足手纏いにならないなように「過激」「ダッシュ」「脱線」を自らに課してのいわば凝縮旅行なのです。
 今回は私のワゴン車に全員を乗せてのドライブ。関越自動車道をぶっ飛ばして練馬から月夜野インターを降り、だらだら道中立ち寄りながら目的の秘湯、法師温泉へ。身体がふやけるくらい温泉入って、未だ残る雪原ラッシュして汗かいて、プファ?!って感じでビール飲んで、ひたすら中心の無い話しに加わって、やはり最初にグロッキーで就寝。
次の日は関越を跨いで尾瀬方面に走り、「吹割の滝」を見学。このあたりで会話はとんでもなく無軌道になりまとまりを欠いていく。さらに飛ばして予定外の榛名湖で薄氷の風景にやたらに歓喜し、されど凍えて伊香保温泉露天風呂でぬくぬくと身体を暖め終了。
 「ジュージツ、ジュージツ」という言葉が運転の背後から聞こえて来てましたから、みんなそれなりに充分に満喫したようでした。ただ、やはり彼等にとって一番の問題はこの「私」だったようです・・・。実は私はかなりのスピード狂で、高速では追越し車線以外走ることがありません。一般道でのカーブでは「インを突く」が習慣化されており、同乗者が無言になっていくのが感じられるのです。それはそれで解るのですがどうにもならない・・・・。この全身の集中力!
 帰りは学校まで送る予定でしたが、皆さんの薦めでかなり手前の「八王子で結
構です?!」で、全員、JRでお別れとなりました。
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つかの間のささやかな旅行。明日から怒濤の緊張へと向かいます。

2008年03月17日

●溶けていく

嵐の前の静けさ?大学の入試も終了し、あとは最終結果を待つのみ。
あれ程の緊張と昂りも過ぎて、今は一斉に萌出しそうな木々や花々の気配の中にいる。久しぶりに和んだ空気の中で、山々はふっくらとピンク色に膨らんでいる。1年の中で最も穏やかな季節。できるならば、できるだけ心も身体も弛緩させてスポンジのようにこの空気と光を吸い取ってみたいものである。
 受験生の皆さん、本当にお疲れさまでした。
haru

2008年03月09日

●それぞれのスタート!

いよいよ受験も最終コーナー。東京芸大の受験が明日から始まります。学生達は好例の三日間のフリーカリキュラムでそれぞれの状況に則した調整。もうここまで来ると講師は大らかに見守るばかりなのですが、こうして見ていると学生はしっかり自己コントロールしながら「ハイテンションでの落ち着き」という矛盾も克服している様子。凄いのは現役の高校生。怖いもの無しの突っ込みで一気にレベルを上げて来る。やはりパワーは上達の基本なのだ。
「全てを出し切った者が勝利を手にする。」
「一年の汗あり涙あり笑いあり叫びあり!!」
なんだか美術じゃなくてアスリートの話しみたい。
若きアートアスリートの皆さん!!爽やかに鮮やかに走りきって来て下さい!!
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2008年03月06日

●周遊/美大卒展

美大卒展雑感
私立美大、東京芸大の卒展を見た。半日だけの駆け足ではあったけれど、春の天気にも恵まれ足取りは軽く。
学部、大学院も含め、すいどーばた出身者もかなり多く、行き先々で懐かしい面々と会ったり意外な人に声をかけられたりと、喪失しかけた記憶が再生するようで嬉しかったが、健忘症ゆえの寂しさか、名前がなかなか思い出せない学生も多く失礼をしてしまった。一方で学生はそれぞれ皆驚く程逞しくなり、あるいは大人になって見違えるようであった。時の流れは恐ろしいものである。そして予備校での立体制作が、粘土オンリーであることを思えば、4年間での素材への対応能力はまるで異次元に近い程の変わりようで、技術力も含め「もうこいつらはライバルなのだ!!」とあらためて鼻息荒く自分を鼓舞しているのであった。

 六本木の国立新美術館での女子美、多摩美、武蔵美、日芸、造形大学。そして東京都美術館の東京芸大学部、武蔵美大学院修了展。さらに芸大彫刻棟と芸大美術館での大学院修了展。いつもなら好きな建築科やデザインの仕事も見るのだが今回は彫刻展示だけの「はしご」。
展示を見ながら、一昔前とは比較にならない程の展示スペースの広がりに驚き、そして時代の流れを感じながら、思いがけない作品に出会って喜び、そして一方で愕然とし、ため息も出て鑑賞後の感想は正直複雑であった。
とりわけ、時代を反映していてか、作品の表現手法の類似化、伝統工芸学校のように技術力と共通のイメージを繰り出すその作品の多さに少々げんなりもしてしまった。表現のオリジナル性とは別に習得した技術の博覧会のようでもあり、大学での思索的訓練はどうしたのかと疑いたくなる。言わば、大袈裟な言い方ではあるが、人種の坩堝たる予備校での学生達のひとりひとりの顔を思い浮かべながら、組織とヒエラルキーと時代と社会の「フレーム」をもみるようでもあった。
 それはそれなりに収穫ではあった。
sotuten