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2008年01月29日

●もうひとつの物語

ウクライナ出身の芸術家イリヤ・カバコフという作家の作品(インスタレーション)に 『シャルル・ローゼンタールの人生と創造』というのがある。これはカバコフ自身が空想の画家のローゼンタールとなったと想定し(なりすまし)、油彩やデッサン、日記を描くだけでなく、キュレーターにもなって彼の芸術を解説した論文や伝記までも書いてしまうのいう徹底振り。
 つまりカバコフ はローゼンタールという画家自身であり、同時にそのローゼンタールについて考え思考する批評家でもあるという将に多重の関係を創り上げているのである。普通であれば、こうした錯綜した状況は意識の混乱を起こす可能性は大きい。でも私にはカバコフが一人ほくそ笑みながら、いたずらっ子のように制作に取り組む姿が思い浮かぶ。
 このカバコフの試みの意味は別としても、こうした複眼的な視点はとても興味深い。自分が他者として振る舞い、思考、分析してみる客観的手法は、自分の新たな側面を顕わにしたり自己洞察を深めたりもする。そのせいだろうか、学生に対してよく講評で「客観的に」、と連発する自分自身は如何に?と自問することが多々ある。2年程前だろうか、あるきっかけで何ヶ月か自分の中にもう1人の自分を創り出し、名前もつけ会話や思考を試みた事がある。友人への手紙も「中瀬の友人」という立場でという徹底振り。自らを観察し、尚かつ自分への希望を駆り立てる。そうした一ヶ月程の「彼」との合宿のような生活の中で、私はいつの間にかまた彼と同化して行った。

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2008年01月28日

●視線の行方

遠くの景色がある日くっきりと見える時がある。霞む山々の森の木々の葉の一枚一枚さえもくっきりと浮き上がる。その恐ろしい程膨大なエネルギーに圧倒される。
 都庁展望台へ夜景を見に行った。関東平野と言われし平原に夥しく永遠とも広がる建造物。人間の積み重ねた時間の膨大さの中のたったひとつの単位を想像してみる。
 目の前の踏切を満員電車が一瞬に通り過ぎて行く。隙間も無く押し合う人達のその一人を思う。「個と全体」といとも簡単に言ってはみるものの、日常での私の視線はいつもその両極を行き来する。

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路上の石畳、植物の葉他。ものを成立させる単一要素への視点を持つ事で、さらに内部へと入り込む。路上のつぶつぶのつぶが、その中のつぶ・・・・。視線の行方は想像の行方でもある。

2008年01月26日

●血が騒ぐ

寒い・・。
なんという底冷えの日々・・・。
昨年は雪も降らず、地球温暖化はやはりここまでかぁ、と実感したものだが、ここに来ての冷え込みは老化深まる我が身にはひどくこたえる。さらに追い打ちをかけるようにとうとう恐れていた雪が降った。それも朝から日中、堂々?とである。降るわ降るわみる間に降り積もった雪がなんと10センチ近く!
となると訳も無く騒ぎ出す雪国生まれのDNA、そしてさらに沸き立つ創造魂。
「雪が降って喜ぶのは子供だけ〜」とうそぶく生活優先の大人の現実思考も一気に崩壊して、その「喜ぶ子供」になってしまう。当然近所の子供やお昼の奥さん方も一歩引いてその姿を遠くから眺めることとなる、も気にせずにひたすら取り敢えず雪をかき集める。汗が吹き出る。手は冷たさを通り越して赤くなる。寒空でTシャツ姿のおっさんは矢張り異常ではあるが、それはもう自己内部では輝かしい勲章にランクアップされている。遠くで成り行きを見守っていた近所の子供達が何やら近づいて来る、が、もう私にとっては「ライバル」と化する子供に笑顔を見せる余裕も無いのである。
そう、そしてひどく無邪気に、そしてシンプルに汗の結晶が出来上がりました。
やはり、冬はいい。


幽玄な風景にしばし見とれて・・・
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晴れた空にみるみる溶けていく雪のオブジェ
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二回目の雪。前回の反省を込めて不純物を無くしてより硬度を高めて。
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2008年01月20日

●センター試験の静寂

センター試験が始まった。美大受験生にとっては将に鬼門。「学科勉強が苦手だから美術してるのにい〜」とか「美術に夢中で学科勉強の思考回路停止なんですう〜」といった自己弁解もこの時ばかりは空しく、無くなりかけたマヨネーズの入れ物から将に絞り出すような必死さに変化する。勿論こうならないように一年かけて説得もし「脅し」もし「懇願」もしてきたのではあるが・・・・。
 よく、昔の受験生で「実技はトップだったけど学科が〇点で芸大落ちた、んだぞ!」と自慢げに話す人が沢山いる。実際には美術だって「筋肉」で物事を生み出す訳ではないのだから「思考」回路は重要なのだが・・。
 この手の話しは作家が自分がいかに貧乏であるかを自慢し合う状況にも似ていて興味深い。純粋であることの証明には「悲劇?」は付き物とでも言いたげで。
  
 さて、どばた彫刻科の中でも近年著しい現象がある。それはこのセンター試験前の1週間?10日間は学生の出席が著しく減って行くという現象。昨年はなんと試験前日には「0人」となってしまった。珍事ではあるがリアルである。学科予備校では「エイ、エイ、オー!!」の掛け声で気合いを入れる光景がテレビで流れるのだが、逆である。人っこ一人いない閑散とした静寂がアトリエを包む・・・。これが美大予備校の悲しき現実なのかと呆然とする。
 一夜漬けで鍛えた脳みそが、マークシート式の鉛筆転がしの運試しに効力を発揮するか。悲しき予備校生のチャレンジは本日クライマックスなのだ。
 
 「諸君の未来圏から吹いて来る 透明な清潔な風を感じないのか」
宮沢賢治
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アトリエより飛行機雲を望む

頑張れ受験生!!

2008年01月08日

●2008/1/8 新学期

新年、明けましておめでとうございます。
いよいよ本番突入です。今年度の学生は地方出身者が少ないのですが、それぞれ実家に帰って来た様子で、矢張り顔色がいい。受験生もそれなりにしっかり正月しているのだ。
 受験生にとってこれからはマラソンで言えば35キロ過ぎのラストスパート。ここからが勝負の分かれ目と言ったところ。そう言えば、例年の如く、テレビで正月恒例の箱根マラソン中継を観戦した。今年も数々の波乱があり壮絶なドラマが繰り広げられていたのだが、こうした選手も一年間それこそ血の滲むような訓練をしてきたにも係わらず、多くのランナーが力を出し切れず悔し涙を流したり、中には脱水状況に陥り脱落していく者もいる。強烈な肉体を作りあげ万全に準備をしても、尚こうした状況は当然のようにおきるということを、そしてこうした限界への挑戦とは、肉体と精神の微妙なバランスで成立することをあらためて思う。
 デッサンもいわば非常にメンタルな作業である。微妙な精神状況の変化や持ちようが大きく影響する。逆にそれだから面白いのだと言ってはみても、やはり難しい。
 とはいえ、そうした精神の機微を楽しみながら、やはり最後を走り抜きたいものである。
 
本日学生、95%出席。
これって?いいの?悪いの?
若干、スロースターターもいるようです。
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本年が素晴らしい結果となりますように。