●もうひとつの物語
ウクライナ出身の芸術家イリヤ・カバコフという作家の作品(インスタレーション)に 『シャルル・ローゼンタールの人生と創造』というのがある。これはカバコフ自身が空想の画家のローゼンタールとなったと想定し(なりすまし)、油彩やデッサン、日記を描くだけでなく、キュレーターにもなって彼の芸術を解説した論文や伝記までも書いてしまうのいう徹底振り。
つまりカバコフ はローゼンタールという画家自身であり、同時にそのローゼンタールについて考え思考する批評家でもあるという将に多重の関係を創り上げているのである。普通であれば、こうした錯綜した状況は意識の混乱を起こす可能性は大きい。でも私にはカバコフが一人ほくそ笑みながら、いたずらっ子のように制作に取り組む姿が思い浮かぶ。
このカバコフの試みの意味は別としても、こうした複眼的な視点はとても興味深い。自分が他者として振る舞い、思考、分析してみる客観的手法は、自分の新たな側面を顕わにしたり自己洞察を深めたりもする。そのせいだろうか、学生に対してよく講評で「客観的に」、と連発する自分自身は如何に?と自問することが多々ある。2年程前だろうか、あるきっかけで何ヶ月か自分の中にもう1人の自分を創り出し、名前もつけ会話や思考を試みた事がある。友人への手紙も「中瀬の友人」という立場でという徹底振り。自らを観察し、尚かつ自分への希望を駆り立てる。そうした一ヶ月程の「彼」との合宿のような生活の中で、私はいつの間にかまた彼と同化して行った。