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2007年10月07日

●山のこだま

 先日、学生と混じって山に登った。平均年齢を一気に上げる事になったうえ登山歴2回目の『とーしろ』である。登りたくて登ったと言うより、ある種の自虐的性格と将来的に果たしてみたい目的の為の予備訓練になればとの思いもあった。
 さてこうした登山では否が応うでもある種の極限状態を体験できる。つまり常に危険と隣合わせであるということなのだが、興味深いのはこうした状態で人は二つに別れるということ。
 饒舌が寡黙か・・・・。
最終的な場面ともなれば勿論寡黙にならざるおえないが、それを回避するのが引率の役目なので、いわば苦しくなった時の対応と言ったほうがむしろいいかも知れない。私はどちらかと言えば後者の方。自己内部にグウ〜〜っと向き合って外部を遮断していく。と、突然、饒舌者が一貫性を欠いた話題とリズムで黙々と連なって登る集団に波乱を起こす。それに感染するように饒舌者が増えていく。果たして登山はこうした波を繰り返しながらやっとの思いで目的地に達する。
登っても下っても、登る途中も下る途中も饒舌者は饒舌だ。何処までも何処までも饒舌なのだ。

幸か不幸か(やっぱり不幸?)、老体に鞭打って登った後の記憶に強烈に残ったものは、寡黙な私が自分と対峙したおよそ風景とは言い難い時間と、こちらも高山から垣間見える風景とはまるで違う「饒舌者の言葉のこだま」でした・・・。

山の頂上で空をつかむ 
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