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2007年09月15日

●道具と美

粘土用の塑造べらなど手作りし磨きあげ、何種類も並べばながら制作する姿に制作へのこだわりと、そのものの造形美に感心したことがある。
私の住む周囲の農家の人の何十年と使いこなし手になじんだ鎌や鍬。体の一部にでもなったかのような見事なまでの美しさにほれぼれしたことがある。

徹底した機能の終着地点として浮かび上がった削ぎ落とされた造形美なのだと感じた。

一方で釣りよりも釣り道具、撮影よりもカメラ、といった具合に道具への愛着からその世界に浸る人がいる。個人的な嗜好の中で選び抜かれたものへの美学とでも言えるのだろうか。

近頃の学生を見ていて、こうした道具にこだわったり大事にする学生に出会う事は難しい。共通の備品ともなるとなおさらである。ものを大事にしない、というよりは体や気持ちになじんでいくプロセスそのものへの無関心なのか、あるいは結果を追い求める受験にあって、そうした時間にかかわっているだけの余裕がないのか・・・・。
体と皮膜を通じて堆積されていく記憶や時間。こうして時間をかけて紡ぎだされたものの存在はおよそデッサンにも通じるものだとは思うのだが。
IMGP5786.JPG
* 機能美というよりは何気なくぶら下げられたスコップのリズムが気になって。