「インタビュー企画第45弾」
2024合格者体験記特集
2024年度の合格体験記をまとめました。
それぞれが受験生としてのリアリティーを持っています。
来年度、受験する方は是非参考にしてください。
また、今年も3名の保護者の方に<見守り体験記>を書いていただきました。
勅使河原さん
合格大学:東京藝術大学 彫刻科
「どんなに苦しい事が起きても、気合いで乗り切る」
1日終わるたびに気持ちを切り替えて、何事にも動揺せず気合いと自信を持ってくことが大切です。
毎課題死ぬ気でやる!
死ぬ気で観察!
一つのモチーフに感動を100個見つける!
昨日の自分を絶対に超える!
疲れてると感じたら休む!
そうやって一度きりの時間を大切に積み重ねてくと、一度きりの本番で味方してくれます。
荒木大和さん
合格大学:東京芸術大学 彫刻科
武蔵野美術大学 彫刻学科
「すべてにありがとう」
僕は中3からデッサンを始めて、地元の美術系の高校に進学し、どばたで2浪して合格しました。
高校時代は半分くらいコロナ禍で、どばたのオンライン講習会とかに参加していました。高校の授業では油絵、彫刻、美術史など学びました。この経験は今でも活きています。高校の先生方ありがとうございました。当時はデッサンが好きでとにかく沢山描きました。でも一次落ちでした。
1浪目は、東京の兄の家に居候して、どばたの前にバイトを入れていました。朝は弱い方なので身体にもメンタルにもきつくてやるべきではなかったかなと今は思います。寝不足と朝ご飯をしっかり食べないのはほんとに良くないです。デッサンも塑造も色々な課題があって、見方が増えて腕が上がりましたが、1次落ちでした。
2浪目は、実家から3時間くらいかけて通いました。実家の安心感に心にゆとりが出来ました。お母さんお父さんありがとう。バイトは日雇いにして最小限にしました。通学の移動時間に本を読んだり、どばたにある本を読み漁ったり、休みの日は美術館や博物館に行ったり、名画座に行ったりしていました。先人の創作物から興味があるものも無いものもとにかくなんでも吸収しました。その甲斐あってか、アイデア出しで困ることは無くなりました。夏は京都奈良大阪に仏像巡りに出ました。毎日どばただけだとみんなと差がなくなってきてしまうと思うので、新鮮で刺激的な旅は行って正解でした。20歳になったので成人式がありました。久しぶりに会うみんなが受験を応援してくれてラストスパートを乗り越えることが出来ました。
入試が終わってみて、僕は結構運が良かったなと思いました。すべてのことは果てしない相互関係によって成り立っているという考えを仏教用語で「縁起」と呼ぶそうです。だからほんとにどばたの先生含め全ての人に感謝です。ありがとうございます。
これを読む人はこれから受験をする人もいると思うので少し僕の経験から助言をさせて頂きたいと思います。
僕は1浪目は調子に乗って芸大しか受けませんでした。なるべく芸大一本だけ受けるとかではなく私大、中期、後期もしっかり受験して合格体験を積んだ方がいいです。
次に、知識でわかったと体験でわかったには雲泥の差があります。教わった色々な見方は、体感でわかったとなるまで毎度使ってください。そうすればプロセスや見方なんか無くたって何も考えずにできるようになるし、何年かぶりにおこなっても腕が落ちることはないです。何も知らない状態→やり方を知る→何も知らない状態が理想です。
最後に、これは宮崎駿さんの言葉なのですが、
「やらぬ後悔よりやる後悔」
この言葉は、自由度の高い構成で異端なことをやろうとしている時に何度も背中を押してくれました。僕も彼のように新しいことにどんどん挑戦しようと思います。
これから芸大を目指す全ての方に幸あれ。
<見守り体験記>
荒木さんお母様
「前向き2浪息子の親として見守り体験談」
親として始めに...
信じて、応援して、見守って良かった!
どの子もそれぞれ個性を持っていて同じではありませんが、少しでも保護者の方々の参考になればと書かせていただきました。
3人子供のうち、藝大に合格したのは次男です。
同じお腹から産まれたのに、3人とも性格も進路も違います。
勉強に関しては、言えばやる子、言ってもやらない子、言わなくてもやる子と見事にわかれ、次男は言ってもやらない子でしたが、必要と自分で判断した時の集中力は凄くて高校受験前は成績が急上昇していました。
子育てでは、他人と比較しない、兄弟妹で比較しない、何かあった時しでかした時は必ず理由を聞く、出来る範囲ですがやりたい事をさせる、欲しいと言った本は必要なら買う、集中している時は出来るだけ中断しないようにするという事を気をつけていました。
小1から中3までスポーツをしていましたが、何とか芸術コースのある高校へ通うことができ、藝大を受験するに至りました。
現役生の時はコロナ禍だったので、群馬県から池袋まで通うのはかなりリスクがあり、夏休みや春休みにオンラインで頑張っていました。
芸術系に進みたいと言われてから、このままでは3人に好きな事をさせられないと、パートを辞めて正社員で働き始めました。
現役の時は東京造形大学には合格しましたが、東京藝大には行けずもう1年頑張る事になりました。
一浪目の1年、どばたから帰ってくるなりYouTubeでデッサンしてる人ばかり見てる息子に何回か言った事があるのですが、「目で見てやってる気になってもダメなんじゃない?手を動かさないと。」聞く耳を持って無かったと思います。
ただ、技術は現役の時より上達してると素人ながらわかりました。
そのせいか、藝大の一次で落ちてしまった時は何でだろう?だけでした。学科試験のように点数がわからないので余計に辛かったと思います。
この時、もし本人にやる気があるなら受かるまで応援し続けようと思っていました。
群馬県からどばたに通ってもう一年頑張ると意思を伝えてくれたので、応援する事にしました。
朝6時前にはお弁当を完成させ、帰りは遅いと23時半過ぎることも度々ありましたが、最寄駅まで往復一時間弱の送迎を約1年間しました。
睡眠時間が少なくなり仕事するのが辛くなりましたが、この車の中での息子と会話出来る時間は良かったと思ってます。
共通テストの前日にコロナに感染した時はどうしようかと一瞬焦りましたが、追試がある事を知り、親として出来る事は全てしました。
コロナ回復後に息子が「どばたに行くのが怖い」と言い始めた時は、もう受験辞めるのかと思いましたが時間をかけて本人に話を聞いてみると、「周りが上達しててその場で作業するのが怖くなる。試験を受けるのは怖くない、デッサンや塑造もやりたくない訳じゃない。1人で作業するなら大丈夫、あの場でやるのが怖い」と理由がわかりました。2年目のプレッシャーもあったんだと思います。
どばたの先生に相談して迅速に対応していただき、その後行ける様になり、先生方には大変感謝しています。
親のアドバイスはほとんど聞かない子ですが、一応「勉強はしないとね」は、たまに言いました。もちろん心の中では言っても無駄だと思ってますが、私が言わないと誰も言わないので親として言っておかないとと。
1人で何かを成し遂げる経験をさせたかったので、一浪目不合格の後の春休みに1から全て自分で計画して一人旅で自分を見つめつつ何かを得てもらえたらと伝えたら、見事に断られましたが、その後の三者面談で先生に「一人旅してみたら良いんじゃないか」と言われたら、あっさり行くことになりました。
この経験はとっても良かったと本人も私も思ってます。
群馬県は美術館や作品展が東京みたいに多くなく、積極的に自分から観に行かないと得られるものが得られないままで終わってしまいます。見たこと経験した事が全て作品へ繋がって行く事がこの1年で顕著に現れてた気がします。
受験生だからと勉強と技術向上だけでなく、美術館など五感で経験できるところにも行くべきだとわかりました。親としてはこの時間の使い方で良いのか不安でしたが...。
ちなみに二浪目の1年間は、美術館だけでなくTDLや映画鑑賞やジブリパークへも行きました。
往復の電車の中で読んだ本もかなり作品に影響を与えていたようです。
藝大2次試験では攻めた作品を造ったと話していましたが、現役生の時は造りたいと思ったものを形にする事ができない事もあったのに、この2年で成長したな〜と感慨深いものです。
前向き浪人バンザイ!!です。
堀眞礼さん
合格大学:東京芸術大学 彫刻科
「道標」
今年の一学期二学期は授業が終わったらずっとバイトしていて、入試直前からはどばたに集中って感じでした。
なかなかハードだったけど、楽しかったです。
彫刻家になるためと思ったら楽ちんでした。
どばたにいた時に心掛けていたことは
毎日来ること。遅刻をしないこと。そして絶対に藝大に行くこと、彫刻家になることを諦めないことでした。
毎日来ると、講師の何気ない言葉に出会い、実技がガラッと変わってしまったりする。
僕自身何度もそれに助けられました。
ずっと自分の実技にコンプレックスがありました。
小さい頃から絵を描いてきたわけではなくて、
16になってから初めて絵を描くこと、作ることに惹かれて、どばたで一から教えてもらいました。
だからゼロからのスタート。大変とかいうレベルじゃなかったです。
何回もコンクールで下から一桁代をとったり
周りの仲間はどんどん上手になっていく中、ずっと1人取り残されているような感覚を覚えたり。とっても苦しかった。
なのにプライドだけは高くて、
何回も何回もボロボロになってもうあかんって思っても
次の日にはまたどばたに行ってました。
彫刻が好きで好きで、もっと上手くなってやるという気持ちで。
実技の悩みは実技で解決する。主任のありがたい言葉です。
僕はこれを実践してました。
人それぞれ頑張り方があると思います。
僕に関してはずっとずっと自分との戦いでした。周りと比べてしまう弱い自分がずっといました。そんな自分を認めてあげること。
自信がやっとつき始めたのは今年の入直でした。
入直はヨガに通っていて、それもすごく精神安定につながりました。
もう藝大なんてきにしなくていいのかな。
だって、周りの人にいいと言われる絵が描けるようになった、彫刻が作れるようになった。
それだけで俺って幸せだ。生きててよかった
と気づけたのが大きかったです。
本番も同じように、目が見えて手が使えて
綺麗な光が目の前にあって、自分は藝大を受けれて、なんて恵まれてるんだろうって本気で思って描いて作りました。何言ってんだよって思われるかもしれないけど。
今年一年、頑張ったと自分で言えるくらいには頑張ったので落ちても何も後悔はなかったです。いいメンタルでした。
自分にとっての彫刻がどういうものか
本番で出せたのも嬉しかったです。
大切なことはいつだって目の前にあってただただありがたく導いてくれる。僕にとっての道標です。
毎日優しく熱く指導してくれた先生たち、
最高の環境を提供してくれた助手さんとモチ当のみんな、そして一緒に一年を過ごした仲間たち
全員に感謝の心でいっぱいです。ありがとうございました。
僕が合格できたのは奇跡です。
長くなりました、そしてお世話になりました。
森美月さん
合格大学:東京芸術大学 彫刻科
「諦めないこと」
私はどばたで中学生コース、基礎科、デザイン科、彫刻科でお世話になりました。
基礎科で4浪した先生に、諦めなければ行きたい気持ちは伝わるから絶対に諦めないで、と助言してもらったことがあり美術に関わる事を諦めずに最後まで頑張れました。
私が受験で気づいたことは、自分が経験したことに無駄なことは一つもなくすべて自分の糧になっている事と、心の底から楽しめる環境に身を置くことが大切ということです。そして、たくさん制作することも大切だけれど、その中でただがむしゃらに作品の量をこなすだけではなくて、自分に足りてる所とそうでない所を日々の作品や先生方の言葉などから見極めて、実技や画材、自分のことを研究し今自分に必要な事に時間を割いて確実に実力を上げていくことが大事だと学びました。
どばたでの制作は毎日本当に楽しかったです。また沢山の先生に出会っていろんなことを教えてもらって成長することができました。本当に感謝していますありがとうございました。
<見守り体験記>
森美月さんお母様
「継続は力なり」
美術の学校に行きたいと娘に言われて早くも6年が経ちました。その時からすいどーばた美術学院にお世話になっています。この受験の間私たち家族が気をつけていたことと言えば体調管理や話を聞くくらいです。あとは本人の頑張りを見守ることくらいしか出来ませんでした。作品の足りないところや課題点を指摘してもらう日々が何年も続き先の見えない毎日で、一足飛びに上達することはなく結果の出ない苦しさもあったと思います。それでも愚直に、こつこつと一歩一歩、歩みを進め、ひたすら自分の実力と向き合って諦めなかった強い気持ちに頭が下がります。尊敬しかないです。そして日々の制作の中で娘の助けになってくださった沢山の先生方にはとても感謝しています。また彫刻科を勧めてくれたり娘が転科するか悩んでいる時も相談に乗って背中を押してくださって本当にありがとうございました。
これからも自由な発想で自分だけの世界を築いていってほしいです。
堀岡鉄さん
合格大学:東京芸術大学 彫刻科
「これまでと、これから」
1年前の合格者発表の時、並ぶ20個の数字の中に、僕の番号はなかった。
何度も何度も確認しても、ないものはない。
心の中を、もの凄い虚無感が襲った。
また駄目だったのか。
未だ駄目だったのか。
もう、1年。
もう1年?
もう一度、同じように事を繰り返すのか?
もう二度と、この思いはしたくない。
絶対に。
藝大に再三再四挑戦するためにそんな事をずっと考え続け、何とか自分を奮い立たせ、反芻しながら今年1年を過ごしてきた。
環境を変え、1からやり直し、周りから刺激を受け、やったことのない事を試し、自分なりの解を模索し続けた。
僕は意外と感情的な人間だ。
元々ネガな性格であるということもあるが、褒められれば必要以上に浮かれ、叱られればとことん塞ぎ込む。
それは作品にとても大きな影響を与えるし、とにかく浮き沈みが激しかった。
その波を本番に向けて調整することは、今の僕には多分出来ない。
だったら、感情を捨てるしかない。
どんなに良いことがあっても、辛いことがあっても、アトリエで制作する時はそれらは二の次だ。
激しい喜びも、深い絶望もない、植物のような心で、制作時間をきっちり過ごす。
自分の中の限界値を見定め、どうやったら突き破れるのか、それをとにかく考える。
喜怒哀楽を可能な限り排して。
特に下半期はそんなふうに過ごしてきた。
もちろん、作品が良い方向に進み、自分の思い描く完成形に近づいてきた時は気持ちが昂る。
人間なんて所詮そんなものだ。
でも、そんなときに浮かれると、決まって作品は成長を止め、堕落してしまう。
良い制作ができている時こそ、自分の限界を突破するチャンスだ。
欠点を探し、より良くする最善の一手を見つけ出す。
その制作の中で何かをみつけ、得られたのなら、それは自分にとって大きな糧となる。
そしてそれは、次からの制作に活かされ、またその次の段階に進むための手がかりになり得る。
お前にはまだやれることがある。
自分にそう言い聞かせ続けた。
去年、一次は通った。
デッサンは、それなりの力は付いている。
だからこれを今よりも衰えさせるのは絶対に良くない。
デッサンコンクールはどんなに気が乗らなくてもB°に食い込めるものを描いた。
一度だけ、冬季講習の藝大模試の時に奴隷の2列目で合格ラインを越えられなかった。
でもそれは、終わった時点で自分の中での反省点がくっきり見えていたし、悔しさが次に繋がるバネに変えられた。
気づいたら、次のデッサンを描くのが楽しみに感じていた。
粘土はなかなか上手くいかなかった。
自分の完成像に近づくどころか身に付いた技術が先走り、講評に出して離れた見た時に想像との乖離が大きく、気落ちして目を覆いたくなる時が多々あった。
正直言って、粘土は最後まで不安材料が多かった。
でもそこで気持ちも負けてしまったら、またあの1年前の繰り返しだ。
絶対に諦めない。
そんな一心で取り組んだ。
結構粘土は最後の方は根性で何とかしてたな、と今となっては感じる。
逆に今までは体の方が頭を追い越してしまって、半ば暴走してしまっていたのかもしれない。
試験の時間は、1年間に比べたらほんの一瞬。
その一瞬のうちに、自分がそれまで培ってきたものを置いてこなければならない。
いつもとは違う環境、状況下で、自分の「いつも通り」が出来れば、きっと受かる。
多少の動転はカバーできる「実力」はある。
自分でそう思える力を、1年で身につけてきた。
大丈夫。
やれる。
そこに初めて、自分の中に過信ではない「自信」があった。
「実力」がなければ、「自信」をもって「いつも通り」をやっても落ちるだけ。
逆に「実力」があっても、「自信」がなければ「いつも通り」ができずに空回りして落ちる。
「自信」が過信に置き換わってしまっても同じ。
「実力」「自信」「いつも通り」の3つの立ち位置が心の中で整頓されて、初めて藝大で良い制作ができた気がした。
合格者発表の時、すぐ僕の番号を見つけた。
やっと、やっとか、この1年は無駄じゃなかった、やっと見てもらえるものが作れたのか、と心の底から安堵した。
この4年間、どこかに後ろめたさのあった嬉しいという感情が、その時は箍を外したように僕を覆い尽くした。
そうか、僕は嬉しい時にちゃんと笑える人間だったのか、と今更ながら自分自身に驚いてしまった。
藝大合格はゴールではない。
ここから駆け上がっていく階段の、最初の一歩だ。
きっと僕はこれからも、大きな挫折を味わい、逃げ出したくなることがあるだろう。
でも、この受験生活は、きっとそんな時の支えになると思う。
1つの目標に向かって様々な困難に挑み、突き進んできたこの道は、僕の中で強固な礎となり、指針となるだろう。
自分でそう思える受験生活を送ってこれたつもりだと思っている。
僕は美術を、楽しいと思えたからここまでやってこれた。
楽しむ心を忘れなければ、きっとどこまででも行ける気がする。
それはまだ僕にとって未知の領域だが、これから足を踏み出すのが楽しみだ。
今まで応援してくださった家族の皆さん、先生方、友人その他全ての皆様、感謝の気持ちでいっぱいです。
本当にありがとうございました。
これから受験される皆様へ。
最後は一人の戦いです。
自分を信じてあげてください。
それまで、信じられる自分に育ててあげてください。
それから、睡眠は本当に本当に大事です。
僕は7時間、出来れば8時間寝てました。
夜はちゃんと寝ましょう。
あとは、自分の身体を労ってあげてください。
僕は自分が思っているよりも、身体が悲鳴をあげていました。
彫刻は肉体労働です。
そりゃ疲れるに決まってます。
身体のSOSを見逃さず、ケアをしてあげてください。
皆様の成功を心から祈っています。
拙い文章でしたが、ここまでのご清覧ありがとうございました。
春木駿太朗さん
合格大学:東京芸術大学 彫刻科
「幸せな時間」
ずっーと粘土で作品作っても、ずっーと絵を描いてても、誰にも怒られない、恵まれた時間。時々友達と見に行く展示、ピロティで食べるおにぎり、膨刻について話す友達との時間。悔しい、苦しい、キツい、そう思えることが良いのかもしれない。
この1年は自分にとって、とても大切で楽しい1年だった。夢を追わせてくれた両親、色々助けてくれた友達、教えてくれた先生方、関わってくれた全ての人達に感謝です。ほんとうにありがとうございました。
清宮プルワント真日紗亜結ラマダナさん
合格大学:東京芸術大学 彫刻科
「なぜこの場所にいるのか」
目的を、最初の感動を、そして思考することを大事に思った1年でした。
初めてデッサンをした日、すごく嬉しかったのを今でも覚えてます。絵を描く事自体が楽しいというよりこれは、自分の意思でやりたいことを選択して体を動かす、そこにただただ感動していました。生きているとこんなにも嬉しい感覚に出会うことができる。
こんな気持ちになれてしまったらデッサンや塑像を学び始めた時期なんて結果に影響しないと思います。自分自身が選択して今ここにいると自覚する事を本当の意味で理解するのにはかなり時間がかかりました。
この時の感覚が入試やこれからの人生で凄く大事な気持ちだったと強く思います。
最初の入試では2次試験まで行けたものの、課題文を見て自分が作りたいイメージを強く持てないまま作品提出となってしまい後悔が残っていました。合否を見てから気づいたのは合格をした自分やその後の姿までは想像ができていなかったという事でした。
次の入試ではその経験を活かし、どんな状況と課題であっても自分らしさを失わずに作品と対峙できるようにと考え努力しました。
なんとなく手を動かさない、今必要な確実な一手はなんだろうと思考する事が大事だったと思います。
どばたの環境は自分にとって本当に素晴らしく、ここに通える私は恵まれていると思います。
最初の年は頑張りながらも楽しく過ごしていました。だからこそ、あらためてこの場所に甘えないで必ずここを卒業し結果を出すと自分の中心にしっかり覚悟が生まれました。
失敗からは多くを学ぶことができる上、それらは地続きだからどんな些細な事でも自分の糧にしようとして受け取ろうと覚悟した瞬間、全てが心強い味方になってくれました。
私を支え信じてくれた家族、講師の皆さん、友人、お世話になった方達に良い結果が報告できて嬉しいです。この体験記に書いた気持ちをこれからも大事に頑張る事ができると思います、本当にありがとうございました。
<見守り体験記>
清宮さんのお母様
「サクラサク」
この言葉に届く日をようやく迎える春となりました。
娘が高校3年夏の終わり、世の中はコロナ禍が始まり正しい情報もわからない不安な時期に突然「日本の美大に行かせて下さい」と言われました。ふたつの国にルーツを持つ娘は外国人学校に所属し海外の大学へゆく準備をしてきたはずの中、親として非常に驚きました。
娘の高校では美術教師が体調の事情から退職されたまま美術教師不在で授業もままならない数年があり、鉛筆デッサンを1枚も書いた事が無く、木炭を見たこともないという娘でした。
娘が藝大を目指すと決めてから本人が色々と調べ「すいどーばた美術学院」のデッサン体験を申込み、その時に塑像体験も勧めていただき、楽しかった印象の塑像体験から彼女は彫刻科を目指す事を決めました。
高3の秋から土日は基礎科へ通い始め、日本の高校とは違うカリキュラムを生かし春からは高校に所属しながらも同時に昼間部へ入学。日本とは違う卒業時期の為、初夏に卒業してからは夏季講習、追込み、全ての時間をデッサンと塑像に取り組み翌年に初めての藝大受験を迎えました。
鉛筆の持ち方、木炭の扱い、紙の活かし方‥ゼロ以下からの娘でしたが講師の方々には暖かく、丁寧に良い部分を引き出し、弱い部分を指摘いただき方向性や考え方‥学校から帰る娘から聞く話から細かな指導だと感じました。毎日娘は描いたデッサンを見せてくれ、いつのまにか1枚1枚が精度を上げてゆくのを目の当たりにし‥報告を楽しみにする自分がいました。日本の学校で生き生きと学ぶ娘の姿。面談で講師からアドバイスいただいた「食事を大切に」を念頭にお弁当を毎日作りました。親の出来ることは学費の工面、健康への配慮‥食事、励まし、睡眠、笑わせる事。しかし準備期間も本人のメンタルも覚悟も足らない初めての入試は一次を通過し、二次で落ちてしまいました。
初めて藝大に行きたいと言われた日、娘には言わなかったけれど心の中では(今からですんなり行くわけは無い‥奇跡で初めの入試が通ったならかなり運が良い。通らなかったなら彼女が諦めないならもう一度トライだ)と思っていました。藝大に落ちた報告を仕事場に電話してきた娘の声に「また頑張りましょう!」と励ましました。
2度目の昼間部入学。昨年からの経験で1年の流れは親子で理解できていたので冷静でした。本人はただひたすらシリアスにトライ&エラーで制作する日々。
講師の方々の真摯な対応を常に感じてきた昨年があり、学校への信頼がしっかりありましたから2度目の保護者面談は初回入試で娘が落ちたのを申し訳なくも感じてもいました(健康に頑張るだけという気持ちしかなかった)
秋になると周りでは私大を受ける人、すべり止めを手配する人‥私も娘には2回目なので「他の大学を受けても大丈夫よ?」と言ってみたものの彼女の意思は固く「藝大のみ」ときっぱり言われてしまいました。受験を通し、浪人生という形で二十歳を迎え、成人式の写真も「入学したら撮る」と撮らせてはくれない娘でした。
親も子も「自分との対話」「不動心」を胸に日々淡々とやるべきことをたゆまず行うだけ‥鉛筆デッサンゼロから2年で随分としっかり木炭デッサンや塑像を楽しめる状況に家族それぞれが変わっていました。
2回目の入試、昨年同様お互いインフルやコロナを警戒し健康に気をつけマスク着用、お弁当には娘の好きなお菜とお茶。やはり親の出来ることは少なくて‥話を良く聞き、子供の力を信じて笑顔で送り出す事だけ。
幸いにも娘は2度目に合格しました。
シンプルな気持ちを大切に、日々の自然や生活のささやかな喜びを感じながら‥正直に雄々しく受験場所へ向かうだけ‥そんな風通しの良い親子関係を得たどばた時代に感謝、娘の成長を見える形で体験し、受験を親としてサポートできた経験は豊かで幸せな事でした。
講師の皆さま、友人の皆さま、2年間本当にありがとうございました。
小室莉子さん
合格大学:東京芸術大学 彫刻科
「自信をもつこと」
私はずっと自信が持てませんでした。
コンクールで結果が振るわなかった時も「私だからしょうがない」と思っていました。
今思うと自分が傷つかない様に現実から目を背けていただけでした。
こんな私が変われたのは大きく2つあります。
1つ目は、自分の欠点は成長するための最高のヒントなんだと気づけた時です。
私はデッサンに苦手意識があり、これを克服する為に自分の欠点と向き合い、描き方を変えてみたりと色々なことにチャレンジしました。
チャレンジを重ねることで自分の欠点だけでなく、自分の良い点、得意なことも分かることが出来き、少しずつ自信が持てるようになりました。
2つ目は、自分が好きな課題が出来た時です。
私は構成課題や文章課題が大好きです。
好きになったきっかけは、講師の方から「自分の作品として作って壊したくない、持って帰りたいと思えるくらい愛着をもって制作をしなさい」と言われた時からでした。
作品を作るのなら、まず自分がどのような彫刻作品が好きなのか、そしてなぜその作品に惹かれるのかを知らなければいけないと思い、色々な作家の作品を見ました。
そして普段、生活している中でも自分の好きな形を探しつづけました。
そうすると「この形を作りたい!」と強く思うことができ、自分のアイデアのストックがどんどん溜まっていきました。
講評中に、過去にあった課題文や自分で課題文を作ってエスキース、タイトル、文章を書いていたりもしました。
そして構成課題の時に実際に形として起こせるのが凄く嬉しく、早く全体像が見たくて自然と手が動く様になり、完成に持っていける様になりました。
また「この作品は木彫で作りたいな」など素材を置き替えた時を考えたり、「この作品は暖かみのあるオレンジっぽい光のところに置きたいな」など、どんどん作品として自然に考えられるようになりました。
満足できる作品を作れるようになってから自信がつきました。
このことから分かったのは「自信は自分自身でしかつけられない」と言うことです。
今、これを読んでいる自信を持てない人は、実技の内容には関係なく自分を認め、自分の作品の好きな所を見つけてあげてください。
好きな所を見つけられたら、それを自分の武器にして下さい。
気付いたら少しずつ自信がついていると思います。
私がこのように思えたのはそれまでに沢山のありがたい言葉をくれた講師の方々そして辛い時に支え合った仲間、影で支えてくれた家族がいたからだと思います。
私1人では絶対にここまで来れませんでした。
私を応援してくれた全ての人に感謝しています。
本当にありがとうございました。
岡田啓吾さん
合格大学:東京芸術大学 彫刻科
「普通」
藝大受験は才能とかって次元ではあまりないと思います。
普通に頑張って普通に講評真面目に聞いてってやっていけばきっと一年という時間で本来は十分なんだと思います。
テーマ系の課題も、沢山展示とか見に行って先生のアドバイスを聞いてってやっていけば特別な才能とかじゃなくても良い作品は作れるんだと思います。
僕は五年間の受験生活でそう思いました。
最後に、応援してくれた友人、先生方、そして色んな意味で僕を支えまくってくれた両親に感謝を述べたいと思います。
本当にありがとうございました。
清水麻央さん
合格大学:東京芸術大学 彫刻科
多摩美術大学 彫刻学科
「私が大事にしてたこと」
・メンタルを凪にする
(何があっても動じないー)
・どばたで学んだことは身についてるから一番作りたいものを作る
・自分の作品に集中する
・こだわるのは作品の全体感
・頭が真っ白になったら前日の講評を思い出してまずそれができてるか確認する。
私はとてもマイペースだったらしいので親や先生方には当日まで心配をおかけしました。こんな私が真剣に彫刻と向き合えたのはこの環境に恵まれたからだと思っています。支えてくださって本当にありがとうございます。
みなさん体験記ありがとうございました。
これからの受験生の参考になれば幸いです。