●2017合格者体験記特集
「インタビュー企画第32弾」
2017合格者体験記特集
2017年度の合格体験記をまとめました。
それぞれにリアリティーがあります。
参考にしてください。
今年はこの一年で制作したそれぞれの塑造作品とともにご紹介します。
廣崎萌さん
石川・県立鹿西高等学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
『自分を信じる』
一年前、私は誰よりも強くなろうと心に決めました。
その為に私が選んだのはここで学ぶことでした。
正しい選択だったと思います。ここには最高の環境があり、先生がいて、同じ道を志す仲間がいました。
受験は結果が全てかも知れません。でも誰になんと言われようと自分が正しいと思ってつくったものを信じてあげてください。大切にしてあげてください。
道に迷った時は原点に戻ってみてください。一番大切なものが自分のすべきことを教えてくれると思います。
浪人して初めて周りの人の有り難さに気づくことができました。本当にありがとうございました。
まず、第一歩を踏み出すことが出来た今、これからは自分を信じて、強かに生きて行こうと思います。
柿坪満実子さん
東京・私立星美学園高等学校 卒
合格大学:東京芸術大学 彫刻科
『挑戦し続けること』
4浪で落ちてもう1年頑張ろうと決めた時、彫刻を続けたいと思う自分ともう一度向き合う事から始めました。
なぜこの道を選んだのか、なぜ途中で諦めなかったのか、その答えが私をこの1年間支えてくれました。
どんなに頑張っても報われない時があります。
彫刻をして生きて行く自分のために頑張りたい。
そのためならどんなに辛くても悔しくても私は乗り越えてきました。
できる自分もできない自分も認めてあげる事で前に進むことができました。
今まで沢山実技をしてきて、自分が見ている物を表現できないもどかしさに襲われる度に、私は自分が見ている世界が誰よりも好きでそれを表現できるのは自分しかいないと信じて続けてきました。
浪人を続ける内に自分の限界を決めてしまう時があります。
どんなに実技が上手くなっても新たに始めるとまだやる事は沢山残っていて、見えている事のさらに先が見たいと思う向上心を持ち続ける事が、繰り返しになってしまう日々の実技をより良くしてくれる筈です。
美術といえど受験は戦いです、一緒に受かりたいと思える仲間がいるからこそ全員倒してでも自分を受からせるという強い気持ちを私は最後に持つ事ができました。二次の塑造では諦めずに最後まで自分と向き合っていたと思います。
挑戦する気持ちを応援してくれた友人や支えてくれた家族、講師の方々には本当に感謝しています。
小林さらんさん
新潟・県立新潟高等学校 現役
合格大学:東京芸術大学 彫刻科
『受験を振り返って』
誰かの参考になるかわかりませんが、私は私の話をしようと思います。
私は自分をなくしたかった。
自我が強すぎたら強引な作品になる、他人の言うことが聞けなくなる、モチーフが見えなくなる。それをずっと恐れていました。
そして正体のわからない「正しいこと」を探していました。例えば数学の解答のような、絶対的な正解。
自分なんてものは、自分の目を曇らせ、正解を見えなくするものだなんてある種信仰のようなものさえあった。
自分を否定するこの信仰は正しく思えました。なぜなら上達するからです。
自分をなくしたいと思ったら必然、周りの人の言うことをよく聞きます。いろんな人の言うことをすべて偏りなく聞こうと思いました。たくさん質問したし、いろんな人の実技を盗み見てもいました。そしたら技術は日に日に伸びました。
もちろん今でも周りの人の言葉ほど重要なことはないと思います。
だけど私の信仰は間違っていました。
先生が試験前日に私にかけてくれた言葉がありました、「自己主張してこい」。
目が覚めたような思いでした。
大学が見たいものは「正解」ではなく受験者本人そのものだと理解しました。そして私が本当に恐れていたのは自己主張したとき、自分が否定されることじゃないか、とも。
試験前日に気づくなんて私は愚かでした、だけど気づけて、本番で自分を出し切ることができて本当によかった。そして発表の日、私を受け入れてもらえたとわかって、本当に本当にうれしかった。
自分を消すことなんて結局できないことです。よしんば消すことができたとして、「正解」があったとして、それのなにがおもしろいんでしょう。正解なんて探す暇があるなら自分を磨く方がよっぽどいいと、今の自分はそう思います。
受験勉強は今思うと短かったような気さえしますが、学んだことは計り知れません。この経験を糧にこれからも精一杯生きて行こうと思います。
もちろん周りの人への感謝を忘れずに。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
伊東萌さん
東京・都立芸術高等学校 卒
合格大学:東京芸術大学 彫刻科
『不安を取り払う実力』
前年度、受験に落ちた後はあまりに辛くて先が不安で、胃が痛くて漢方薬を飲んでいた記憶くらいしか無いです。
失意のどん底で進路も決め悩んでいた中、心新たにどばたへ通うように家族が推してくれました。あの時は自信喪失していましたが日々私を見ていてくれた人達が私の実技を強く信じて予備校に行くこと勧めてくれなければ合格どころか受験すらしてなかったかも知れません。
初めてのどばたという環境に身を置き生徒の数と1人1人の意欲に驚きました。
多くの生徒のいる中で、自分の立ち位置を把握して実力があることを確信し、同時に何が足りないか、どうして今まで落ちてしまったかも身に染みて実感出来ました。
日々のコンクールで自信を付けるにつれて、時にどうしようもなく無気力になる自分とも戦いました。それはもし次の試験も駄目だった時に今まで以上に傷付いてしまうのでは…という挫折への恐怖で、きっと実技をしてきた期間が長い人ほど思い当たる感情な気がします。
そのせめぎあいは1月頃ピークを迎え、失敗のビジョンが浮かんで家から出られない日もありました。
平静を装っても講師陣には私の隠していた弱みは気付かれ、ある日「不安を取り払うには、実技しにアトリエに来るしかないよ」と言われ、必死に通いました。
それからの実技中は完成のイメージやモチーフに近づけたくて、ああでもないこうでもないと夢中に制作したら、講評でその奮闘をしただけ評価がつくのが嬉しくて、毎日学校に来るのが楽しかったです。
同じ志を持った人達と自主課題をしたり、時には競ったり、1人で苦手な課題に挑んだりしているうちにマイナス思考になる時間が無くなっていました。
自分にとっての実技の攻め方やプロセスが確立したし大きな発見もあって、
不安を取り払うだけの実力を得てからは試験が終わるまで本当に怒涛の日々でした。
最終発表を見た瞬間は
自分の受験番号があるという
今まで有り得なかった妄想とか幻想みたいだった光景が目の前に広がって、何も言葉が出なくて、近くにいた友達の前で生まれて初めての嬉し泣きをしました。
一緒に浪人したみんなの事思い出して
また藝大受けるなら、この言い表せない幸せを絶対に味わって欲しいなと、切に思います。
最後に
家族、講師の方々、高校時代からの先生、実技を高めあった皆、私の浪人時代に関わった人達への感謝の言葉でこの合格体験記を締め括らせていただきます。
本当に、本当にありがとうございました。
島六新太くん
茨城・県立緑岡高等学校 卒
合格大学:東京芸術大学 彫刻科
『彫刻を追求すること』
自分が本当に受験と向き合ったのはコンクールの時の何回かと本番くらいだと思います。受験は抑えるところを抑えればあとは何とかなるのでそれ以外に自分が大切にしていたものを書こうと思います。
彫刻は無限だと思います。自分が三次元の中に生き、その三次元を追求する。つまりこの世の真相を追求するようなものです。その追求にはもちろん彫刻として教わるものからのアプローチが軸ですが、より深い追求をするためには他のものとの比較が大切になってきます。絵画を知れば立体にしかない魅力が何なのか分かるっていう具合です。それには自分の過去の経験が深く関わって来ますが、それを増やそうという試みも必要だと思います。自分はすいどーばたにいるとき色々な試みをしました。好きな作家のスタイルを真似てみたり道具を変えたりなどそんな所ですが、色々な観点を持つことで本来追求すべきものにより迫れるわけです。そういった意味ですいどーばたは自分の知らない色々な物を教えてくれる良い場所だったと思います。ただ、与えられるものだけではものたりません。与えられたものが本当に正しい事なのか疑う目を持つことも大切だと思います。その目を鍛える行為、それが石膏デッサンだったなーと思います。
自分は石膏デッサンはかなり追求しましたが塑造と素描はまだまだです。塑造と素描は作品としての意味合いが石膏デッサンよりも強いと思うので、今まで作品性というものにそこまでこだわってなかった自分からしたらまだまだ研究不足です。そこは大学に入ってから研究することと思います。
とにかく、無限で奥深い彫刻の魅力を味わおうとする態度。それが大切です。彫刻には万物に通ずる本質があると思います。それを信じてこれからも研究していきたいと思います。
井坂仁美さん
高等学校卒業程度認定
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
『肯定』
4浪目の春、一次落ちして五浪が決まった私は絶望していたのでした。
元々絵が好きで美術コースのある高校に通い、そこで芸大彫刻出身の講師と出会い、いつの間にか高校から紹介された予備校の基礎科コースに入り順調にこの道へ入っていった私はこの後に待ち構える困難など想像もつかなかったことでしょう。
結局現役で二次落ちし合格することが出来なかった私は半年バイトだけをしてまた半年通い、受験して二次落ちし、またバイトを半年して…という生活を送りました。これは3浪目にどばたへ来てからも繰り返してしまいましたが、当時の私は負のスパイラルに完全に嵌っていたと思います。
週五で働いて通い続けることにも限界を感じた4浪目には入直から通い、実技の感触も悪く無かったのにも関わらず一次落ちし冒頭の話に戻ります。
「諦めなさい、諦めてこういう生き方をする自分を受け入れなさい」
これで最後の受験にしよう、最後だから春から一年しっかりどばたでやろうと決意したとき講師に掛けてもらった言葉です。私はこの言葉がとても腑に落ちました。ああ自分はこういう生き方しかできなくて嫌だったけれども、それでいいんだ。そう思えてから余計な感情や力みが抜けて、出された課題に狙いをもって良い姿勢で取り組むことが出来ました。そして自分の波を常にコントロールするイメージで、最高潮の波が本番にぶつかるよう調整ができたこともそのまま合格に繋がったと思います。
答えを出すまでに相当な時間を費やしてしまいましたが、周囲の皆様に支えてもらってここまで来ることができました。本当にありがとうございました。
後閑悠太郎くん
東京・都立王子総合高等学校 卒
合格大学:東京芸術大学 彫刻科
『四つん這い』
様々な思いが錯綜する合格発表は非日常と呼ぶに相応しい異質な空間が広がっています。何度行っても耐えがたい緊張感。奇声や笑い声、すすり泣く様は私の精神を削っていきます。そんな中、掲示板の受験番号が辛うじて識別できるギリギリの距離で私は立ち尽くしていました。へー受かるもんなんだな。それが素直な印象。
私がこの一年でしてきたことは技術鍛錬より、精神コントロールでした。強靱な精神とは。最強の精神とは。自分の精神を完璧にコントロールしてみせると誓い、9月から遅めな三浪生活が始まったのでありました。
しかし精神を維持する事は簡単なことではありません。自分だけの問題と言うわけでもないのが現実で、恋人や男女関係、恋愛、特に若いので失恋はかなり精神を削り取ってゆくものです。さて、上手く立ち回っている方々は一体どのような思考回路をしているのでしょうか。精神維持ができている人を私なりに三つのパターンで区分しました。タイプ1…天然/馬鹿で自分が精神的ダメージを受けていることに気付かない。これはわかりやすいですね。そのまま受験を迎えられればラッキーって感じです。タイプ2…自分が精神的ダメージを受けていることに気付いているが、敢えて天然/馬鹿を装い、前に進む。こちらの方は多いのではないでしょうか。辛いことがあっても表に出さず、後ろを見ることなく走り抜ける。かっこいいですね。そしてタイプ3…自分が受けている精神ダメージの全てを受け入れ、咀嚼し、それでも腐ることなく自らを前進させていく。辛そうですね。笑。こういった方々は精神のキャパがかなりのものとなっています。受験や失恋、死との遭遇/向き合い。そこに至るまで辛いストーリーがあったに違いありません。辛い瞬間は人それぞれ、何時訪れるかわかりません。最初の関門はタイプ1の人が自分は鹿ではないと気付いてしまった時だと思います。それを乗り越えるには馬鹿を装うか、受け止めるキャパを育むか。他に手は無いかと思います。精神的に弱い人間が入ることができる程、東京芸大彫刻科は優しいところではありません。
しかし、精神コントロールさえすれば良いわけでは有りませんね。当然、実力がなければ東京芸大彫刻科に入ることは困難です。では精神コントロールと実技鍛錬はまったく別物なのでしょうか。ここでは精神コントロールとそれが実技に及ぼす影響について考えてみましょう。デッサン、素描、塑造。これらは作者の精神状態の影響を少なからず受けていきます。精神コントロールをする事で各実技に注ぎ込む熱量(精神)をコントロールしていきます。多すぎても少なすぎても作品とはなり得ません。本番で安定した三点を揃えるのは単に普段から全てを全力で取り組むだけではないと私は考えます。できる人はやればいいですが。如何に本番で合格を勝ち取ることができるか。それは実力だけの問題ではないと考えています。課題の本質を見極める判断力、それに限るのではないでしょうか。
続いてかなり生々しい話になりますがブログアップ/コンクール総合順位に於けるアドバンテージと危険性について述べたいと思います。ブログアップ作品にはこれまで数多くの秀作が掲載されてきました。そこへの掲載を志す事は決して悪いことではありません。むしろモチベーションを高め、次のステップへ進む足がかりになることでしょう。しかしこのシステムで一喜一憂するのはとても危険だと考えています。そして最も気をつけなければならないのは総合順位です。芸大彫刻は彫刻ですので、塑造作品に視点が置かれていると私は考えています。極端な例を挙げますと、デッサン1位B゜素描2位B゜塑造17位Bの三点と、デッサン10位B゜素描15位B塑造1位B゜の三点の二人がいたとすれば、総合順位は前者が上になりますが、実際合格に近いのは後者と考えています。だからといって素描をやらなくていいのではありません。全てできるに越したことはありません。そして後者が安心して良いというわけでもありません。ここで言いたいのは、塑造がダメなら、総合上位だとしても危険だと言うことです。そしてこのようなことをこれからの受験生に向けて語っても良いものか悩むところですが、ブログアップされる作品意外にも、地下で何も言わず力を付けている方々がいると言うことです。(特に多浪)
私が落ちてきた理由は何なのか。教授/芸大の課題の本質を見極めることが叶わなかったからです。正々堂々闘うことは勇気の要ることです。正統派で攻めると言うことはその分倍率も上がることを指します。実力も問われます。しかしその倍率から逃げずに打ち勝つことが受験なのではないでしょうか?
本質とは何なのか。教授/芸大は何を求めているのか。私の思う芸大彫刻は厳しさと共に優しさがあると感じています。それは“答え”を明確に設定してくれているところです。恩師は、ある意味芸大彫刻試験はモチーフに救われている、と言いました。救いとは、答えがあると言うことです。その答えが見えたとき、そして様々な葛藤と共にその答えに向かっていった者が、東京芸大彫刻科の合格を手にするのではないでしょうか。
木藤遼太くん
東京・私立立教池袋中学校・高等学校 卒
合格大学:東京芸術大学 彫刻科
『素晴らしき哉 浪人生』
僕は自分が素晴らしいと感じ、思って造る作品に記憶がありません。
どういう風に造ったか、どういう風に描いたかよくわかりません。
美術を始めた高三の時から今日の今まで未だによくわかりません。
もはや23年間生きてきましたが未だに自分がよくわかりません。
6回の藝大受験、5回の一次落ち。まさかの転科。信じられません。
現役から五浪まで何回やってもコンクールの結果は安定しません。
むしろ安定して出てくる不安定なコンクールの結果。笑えません。
見たまんま造ればいいんだよなんて、そんな上手くいきません。
浪人中にオリンピックを2回も観られたなんて涙が止まりません。
浪人中、一度だけ自分に同情し、あれほど後悔したことはありません。
季節も人も年齢も変わり行きますが、まだ何も失われてはいません。
僕にとってここまで浪人できたのは親のおかげです。
感謝以外ありません。
最後に
大概ちょっとやそっとじゃ人間変わりません。
自分の弱さを認め、自分に同情しないでください。
そして日々の生活をがらりと変え、
気長に空見て季節の風を感じてください。
鼻水しかでません。
ありがとうございました。