「インタビュー企画第25弾」
2015合格者体験記特集
2015年度の合格体験記をまとめました。
それぞれにリアリティーがあります。
参考にしてください。
津田 直樹くん(2015年 彫刻科)
熊本・県立第二高等学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
『保つ』
僕が受験を目前に控え、いくつか意識していた事があります。
一つは、「平常心」を保つ事でした。
具体的に自分が心掛けていた事は、「いつも通りを保つ」という事です。それは、実技の面でも、生活の面でも共通して心掛けました。入試直前だからといって、実技だけに注意を注がず、生活(特に家事など)をおろそかにしないということです。
それが本番で、自分のペースの乱れを抑制してくれたのではないかと思います。
もう一つは、「モチベーションを保つ」という事です。
自分が大学に入って何を学び、何を作りたいのか、ほんの少しでも具体的なビジョンを持つ事は自分を支えてくれます。「大学に合格する」という漠然とした目的に少しでも具体性を持たせる事は、自分にとって強みになると思います。それは、現役の時の僕に欠落していた事でもあります。
ビジョンは強ければ強いほど、自分を一歩前に進ませる原動力となります。
3つめは、「感謝を忘れない」という事です。家族からの支援や応援。先生や先輩や友達などから受けた言葉のおかげで、自分は成長出来たと確信しています。他者からの言葉は、どんなものでも捉え方次第で励みになります。
この3つは自分の中で大きな主軸です。皆さんの参考になれば幸いです。
一年間様々な方に支えられてきました。本当にありがとうございました!!!
田中 綾子さん(2015年 彫刻科)
大阪・市立工芸高等学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
『信じる』
すいどーばたで過ごした3年間で、私が受験において大切だと感じたことは、自分の目を信じるということです。
自分の目を信じるためには、たくさんの経験を積むこと、いつでもフラットな気持ちであること、自分が何を大切にして制作をしているのかという考えを持っていることが必要だと思います。
知識も技術もなかった私は、がむしゃらに色々なことを試しました。
失敗が続くと、何も描けない作れないという気持ちになるし、周りを見て劣等感を感じて、どんどん自信はなくなって、あーもうあかん...やってられへん...と何度も心が折れて。
そうなると、何かにすがりたくなるもので、観念的になったり保守的になったりしてしまいました。
そんなとき、ある先生の「モチーフに頼れ」という言葉に救われました。
自分の見えているもの感じているものを信じて、落ち着いて制作することができるようになりました。
長い時間はかかりましたが、やっと結果が出せたのは周りで支えてくださった方々のおかげです。
本当にありがとうございました。
田中 地平くん(2015年 彫刻科)
宮崎・県立宮崎西高等学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
武蔵野美術大学 彫刻学科
『試行錯誤』
一浪のころは実技に劣等感がありました。夜間部からどばたに通っていた人の実技を見ると、いかに自分が何も考えずに制作していたかを思い知らされました。そんな時は自分の強みはどこか、どういうモチベーションだといい実技になるか、など自分と向き合いながら必死にもがいていました。
しかし一浪で落ち二浪が決まった時、この一年やりたいことをやって悔いのないものにしよう!と決心し、一学期から大きな作品をいくつか作りました。カリキュラム外の制作をすると、自分の作る作品への要求度があがり、いい作品を残すことが出来ました。すると自分に自信を持てるようになりました。
しかし、12月頃から自分の実力と最終的にあがってくるものにギャップが出てきて、なんでうまくいかないだぁ!!とかなり悩みました。そこで入直を受験へ向けた調整に使うことにしてみました。
コンクールを試験に見立て、どういうモチベーションと課題の解釈をしたときに結果がいいか、普段も毎課題微調整をして、入試の2日前にようやくこれだ!と思えるところに行き着けました。そして試験では今までつけた力が支えてくれたように思います。
合格して報告をしたい人がたくさんいたときに、いろんな人に支えられてきたんだなぁと実感しました。いままで応援し支えて下さった皆さま本当にありがとうございました。
篠塚 未来さん(2015年 彫刻科)
神奈川・神奈川大学付属高等学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
武蔵野美術大学 彫刻学科
『努力』
こんなにも色々な想いで過ごした2年間は、今まで生きてきた中で1番だったように思います。
たくさんの不安や葛藤に何度も押し潰されそうになり、眠れない夜も何度もありました。でも、そんな不安を自信に変えてくれたのは、これまで作ってきた作品達です。
自分には今何ができて何ができないのか、これを常に考え行動するようにしていました。自分に足りないと思う実技があれば夜残り、自分が納得できるまで制作しました。私は、誰がなんと言おうと自分が納得できないと不安だったので、それはとても大切なことだったと思います。
自分の納得いく作品が一つまた一つと増えていくにつれ、それらが大きな自信となりました。そして、胸を張って試験に望むことができました。
これからも、努力を惜しまず頑張っていきます。
今まで私を支えてくれたすいどーばた美術学院のみなさんに感謝します。ありがとうございました。
齊藤 澄果さん(2015年 彫刻科)
東京・都立工芸高等学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
『私が一番信じてあげなくちゃ!』
浪人生活をしていく中で、苦手意識のあった塑造が少しずつではあるけど、着実に伸びていくのを感じた。
しかし、その一方で満足のいくデッサンが描けない状態が続いた。
そして秋の初めのコンクールで、最悪な結果を出してしまった。すごくショックだった。
それから2ヶ月ほど、「自分はできない、できない」と狂いまくりのデッサンを描いたり、真っ黒なデッサンを描いたりした。
周りの同い年の子たちがどんどん伸びていって焦った、悔しかった。
ずっと自惚れていた。
あるはずの自分の力を信じられなくなった。
冬が近づき、「できる」とか「できない」とか考えるのも面倒になって、余計なことは何も考えず、ただモチーフを見つめ、そこに見えるものだけ、自分の目を信じて描いた。そしたら今まで何を悶々としてたのかというほど描けた。
この小さな波を大波にしてやろうと思った。
自分を信じろ、とかよく言うけど、それはフィルターのかかった自惚れとかじゃなく、自分の今まで感じたこと、やってきたこと、見てきたこと、自分しか知り得ない自分を信じて向き合うことだと思う。
今まで積み重ねてきた記憶や経験があるのにそれを否定して「できない」「ダメだ」なんて、そんなの自分が可哀想じゃん!
1年という長い期間で弱気にならないわけがないと思います。
ふとネガティブなことがよぎることもあるでしょう。
別に口に出さなくったていい、内側で思ってるだけでいいんです 。
それで良い結果が出る保証なんてないけど、きっと何かがあるはずです。
白谷 琢磨くん(2015年 彫刻科)
佐賀・佐賀北高等学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
武蔵野美術大学 彫刻学科
多摩美術大学 彫刻学科
『自分のペースで』
現役の時に受験した大学は全て一次で落とされました。浪人して初めてのコンクールで最下位に近い評価を付けられました。人にからかわれ、無力な自分に腹が立ちました。自分の全てを否定された気持ちになり、周りとのレベルの差感じざるを得ませんでした。
それでも途中でめげることがなかったのは藝大に合格している自分を明確にイメージできていたからだと思います。根拠のない自信などではなく
「自分はどのくらい勉強すれば追いつけるのか」
「どのくらい時間が必要か」
冷静に自分自信と相談しました。一年では時間が足りないと思ったので二浪目の受験に焦点を合わせました。
すいどーばたで様々な方からアドバイスやヒントを貰い、実践して自分なりに解釈を深め、答えをだしていく。感覚だけを磨くのでなく、何をしたらどうなるのか実践しノートにとったり、上手い奴は何故上手いのか分析してみたり、有意義な時間を過ごせたと思います。
そして気づいたのはどんな状況だろうと自分は自分であることが大事だということです。積み上げたものは確実に自分の力になっています。個性はそれまで生きてきた全てです。自分に素直になればそれだけで見えてくるものがたくさんありました。試験本番でもそういう自分の言葉を会場に置いてこれたと思います。
悔しい思いをして、泣いてあがいて、やっと一つの結果をだすことができました。どばたで経験し積み上げたものはこの先様々な場面で僕を支えてくれると思います。何も言わずに協力してくれた両親、彫刻の道を指し示してくれた先生方、常に自分の前を走ってくれた仲間達、本当に感謝しています。
中村 那由多さん(2015年 彫刻科)
東京・都立荻窪高等学校 現役
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
『合格体験記』
・受験前
私のどばた体験は中学2年の夏季講習が最初です。高2からは油画科(基礎)に在籍していました。小学4年で油絵を習い始めて以来、ずっと油画指向。彫刻とはまったく縁がなく、紙粘土すらろくに扱ったことがなかったのです。それが、高2の春季講習で彫刻基礎を体験し、高3を彫刻科夜間部生としてスタートしました。転科して1年で合格するまでは、様々なエピソードがあったのです。
それをすべて書くとキリがないので、受験直前からの出来事を実況風に綴ることにします。
冬季と入試直前講座では、昼間部・夜間部・ときどき残業(自主クロッキー部)をこなしていたのですが、私にとって一番難しかったのは「彫刻的な」デッサンを描くことでした。そして、ついに3月に突入。
夜間部で、石膏デッサンをしていた時のことです。ある先生が突然、
「キミ、背景付けなよ」
「......(えっ、いやいや、このデッサンあと2時間しかないんですが。それに一次まであと3日なのに今さら描き方を変えろと!?)」
「付けなよ」
「..................」
と、言うわけで、石膏像に背景を付けるという油画時代の描き方に戻してみました。が、やはり(彫刻では背景を付けたら受からないのでは)と不安でした。
でもそんな時、また別の先生が、「描き方なんて考えなくて良い。感じたままに描くんだ」と教えてくれました。おかげでその翌日、つまり一次試験の前日には、スッキリした気持ちで、私本来の描き方が出来た気がします。
・受験中
私はトルソーが苦手で、一次試験の前日の夜、「神様、円盤とアムールだけは出さないでください」とお祈りしました。しかし、一次の課題はまさかのアムール。あんなに祈ったのに! すでに描く前から涙目になっていた私ですが、どばたの先輩に「ま、難しいほうに考えるな」と励まされ、どうにか冷静に画面に向かうことが出来ました。
幸運なことに、試験場の重厚な空気感は私を落ち着かせてくれました。この空間を感じながら背景を付け、最後まであきらめずに描こう! と思った矢先。消しゴムペンの調節をしていたら、壊れちゃったのです。......正直、あきらめかけました。しかしその時。近くにいたどばたの仲間が、余分に持っていた消しゴムペンを1本貸してくれたのです。
これで落ちたらカッコ悪すぎる! と描きまくり、一次を突破することが出来たのでした。助けてくれた仲間たちには足を向けて寝られません。
二次試験の素描課題は、与えられた素材で立体をつくり、描くというものでした。私は気合いを入れて立体をつくり、それを遠くから眺めて(うーんカッコいい)と悦に入りました。その時点で30分経過していることに気づき、あわてて描き始めるというボケをやらかしましたが、一次に比べると落ち着いて作業出来たように思います。
その夜、急な喉の痛みと発熱で救急病院に駆け込み、迷惑がられたのが唯一のトラブルと言えるでしょう。
そして翌日、いよいよ、二次の塑造です。課題はアムール。(またお前か! 出たがりか! もしかして、私が出るなと言ったから怒ってるのか!?)と、軽くツッコみたくなりましたが、一次の時と違って、この出題を楽しんで受け入れることが出来ました。一次の時に励ましてくれた先輩に、謎のテンションで話しかけてしまったほどです。
「先輩、アムールですよ!」
「......う、うん、そやな」
と、微妙に引かれましたが、そのくらい落ち着いていたのです。
作業中は、彫刻的な仕事がどうこうよりも、アムールの美しさや、佇まいの上品さを、拙いなりに表現することしか考えませんでした。このときの私は、「感じたままに描く」という先生のアドバイスを、無意識に実行していたのかも知れません。
・発表
そして発表日。13日の金曜日、うららかな上野公園内を通って、母と一緒に(どうせないんだろうな)と重い足取りで会場に向かいました。門を入り、掲示板に目を凝らすと、......あった。いやまさか、いやいやいや、と受験票を確認すると、やっぱりある。それでも信じられず門まで戻って、守衛所の係の人に訊ねました。
「番号あったらどうしたらいいんですかっ?」
「中央棟に行って手続きをしてくださいね」
と、落ち着いて道案内をしていただき、中央棟へ猛ダッシュ。書類を渡してくれるお姉さんに、
「本当に私の番号ありますか?」
「ありますよ、大丈夫ですよ(ニッコリ)」
と、ここでもまた慣れた対応をしていただき、桜色の袋を受け取って呆然とどばたに向かい、先生がたに背中をバンバンされ、ひとまず激動の受験生活が終わったのです。
・あとがき
ダラダラと書いてきましたが、受験、楽しかったです。二次試験の昼休みに木彫室の木屑だらけの床に直に座ってお弁当を食べたのも、なんだか遠足気分でした。でも、そう思えるのも、私の受験生活を支えてくれた人たちがいたからです。
デッサンに背景を付ける楽しさを(半ば強引に)思い出させてくれた夜間の先生。
私の不安を取り除いてくれた先生。
指導してくれたすべての人たち。
励ましてくれた仲間、助けてくれた仲間、夜間部の後で一緒にクロッキーをした皆。
受験日の朝立ち寄ったカフェで気持ちをほぐしてくれたスタッフさん、沿道でカイロを配りながら「頑張ってください」と声をかけてくれた業者さんたち、そして、発表日に一緒に猛ダッシュしてくれた母に、心よりの感謝を捧げます。
林 岳くん(2015年 彫刻科)
東京・都立総合芸術高等学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
『受験、美術』
美術とはいえ、受験は所詮受験です。
受験には「評価をする人間」という明確な相手がいます。おさえるべきポイントがあり、大部分がその減点の数できまる評価があります。より良い評価を得るために必要なのはそのポイントをおさえようとすることではなく、「評価をする人間」におさえていると思われることだと思います。自分の表現やこだわりに陶酔するのではなく、常に「評価する人間」がいるということを基準に、すべきことを考えることが出来れば一過性のものではない安定した制作ができると思います。