「インタビュー企画第26弾」
歴代の現役合格者体験記特集
2007年度からこのdobachou.netを始めましたが、当時の合格体験記まで遡りそこから今年までの中で現役で東京芸大に合格した人たちの体験記をピックアップしました。
基礎科から始めた人や、通信教育の人、短期間で合格した人など、それぞれの過ごし方や考え方がありますね。
現役生、高校1.2年生、是非読んでみてください。
2007年
大石雪野(2007年彫刻科)
神奈川・県立神奈川総合高等学校 現役
合格大学:
東京芸術大学 美術学部 彫刻科
東京造形大学 造形学部美術学科 彫刻専攻
『前進』
私がすいどーばたで過ごした2年間の中で、最も意義があったのは、自分を高めるための行動を惜しまなかったことだと思っています。
彫刻が強いのは「どばた」と聞いて、矢も盾もたまらず以前通っていた予備校をやめ、すいどーばたの門を叩いたのは、高校2年の春でした。私はまだ受験生ではありませんでしたが、できるだけ早く、多くの経験を積みたいと思い、その頃から夜間部に通わせていただきました。それからはただひたすらに彫刻と向き合う毎日でした。自分の課題をひとつひとつ駆逐していき、着実に上手くなっていく手応えを感じられ、とても楽しい日々を過ごしましたが、その一方で、自分の作品がだんだんと技術に凝り固まり、色褪せていっているという事実に苦しまされることになりました。そんな中助けられたのが、友人や教師の存在です。彼らに、時には力を抜き、素直に感動することの大切さを教えられ、最後には克服することができました。「どばた」で得た人とのつながりは、何にも代え難い宝になったと思います。
私は常に危機感を抱えていました。いくら実力をつけても、満足できたことは1度もありませんでした。自分はもっと成長できる、と信じる事が、私を支える力となりました。これからも自分の可能性を信じ、生涯邁進し続けたいと思っています。
2008年
北田匠(2008年彫刻科)通信教育生
岩手・県立不来方高等学校 現役
合格大学:
東京芸術大学 美術学部 彫刻科
『冷静と情熱の間を』
「冷静と情熱の間」入直の間、その言葉ばかりとなえていた気がする。地方ということもあって2年の始めから通信と講習会を受講してきた。3年の冬季頃には安定した実力もついてきて自信もあったが、センターを終えて入直にくると周囲がかわっていた。浪人生は今まで見たことのない馬力できてるし、現役もノーマークの奴らがやたらと上手くなっていて急に焦った。がんがん伸びる周囲の中で、安定はしていても伸び悩む自分。いつその伸びが自分に訪れるのか不安だった。目も利くようになってこのまま入ってもいいのだろうかと迷っていたとき、自分が逃げていることに気付いた。そんなことを言ったって仕方ない。今ここで受からなきゃ後悔する。勉強は一生していくもので、今を生き抜くことが大切なんだって気付いた。それから本当の受験が始まった。自分のために描こう、作ろうと思った。誰かに勝つためでもなく、誰かを喜ばすためでもなく、自分が納得するために。そうするうちに、色んなものが見えて、何もかも楽しくて、誰よりも自由に駆け回りたくなった。作品を作る上で大切なこと、それがこの言葉「冷静と情熱の間」だった。冷静にならなきゃ見えるものも見えないし、本当に伝えたいことも伝えられなくなる。かといって冷静になり過ぎてもつまらないものになってしまう。情熱的にただうちこめば良い訳でもない。その2つのバランスが絶妙に調和した時初めて、本当に自分の伝えたかった言葉が相手に伝わってくれる。よく感じ、よく観察し、思ったことを丁寧に、大胆な方法で伝える。そう出来るようやってきました。
受験は人が決めること、そこで悩むより、貪欲に学びにいく方が実は重要だったり。
芸大合格は自分にとってのスタート地点。どばたの存在が自分に有意義な時間を与えてくれた気がします。世界一の彫刻家になれるよう頑張ります。
2009年
相澤亮(2009年彫刻科)
埼玉・県立大宮高等学校 現役
合格大学:
東京芸術大学 美術学部 彫刻科
多摩美術大学 彫刻学科
『悩んでる暇があったら手を動かせ!』
僕がどばたでの生活を通して常に意識していたことは、自分を慰めないということです。夏季講習会を終えたとき、僕はそれまで自分が思っていたよりも、自分の実力はかなり低いというキツい現実を受け止めなくてはいけませんでした。このままだと、浪人してから「そう言えばあの頃は現役合格なんて夢見てたなぁ」なんて思い出すことになりかねない。かなりガックリきて落ち込みながらも、ここで自分を慰めたらだめだと思いました。ここで安心したって何の解決にもならないし、むしろ問題から目を背けることになる。実力が低いという問題が見えて落ち込んでるんだったらやるしかないじゃん!実技の悩みは手を動かして解決するしかないんだ!と半ばやけくそな気持ちになって2学期を頑張りました。やけくそになって頑張る熱い気持ちと自分を突き放して見る冷たい気持ち。この2つの気持ちをバランス良くコントロールすることが大事。ただ冷たすぎてもつまらないし、ただ熱すぎてもいいものはできない。2学期を頑張るうちにそういうことにも気がつきました。
実力を上げなくてはいけないという問題の他に「波」をなんとかしなくてはいけないという問題がありました。僕は気分屋なところがあり、いい時と悪い時の差が激しかったのです。いくら実力をつけたところで本番で実力を出せなければ何の意味もなくなってしまう。そう思ってかなり焦っていたんですが、ここでも自分を慰めないということが解決の鍵だったと思います。上手くいった日には上手くいったところは素直に喜びつつも過度に調子に乗らないように気を付け、上手くいかなかった日には、上手くいかなかった原因を分析してみることで感情的に落ち込まないようにしてできるだけ毎日落ち着いて生活するように心掛けました。
結局、どばたでの生活は自分を知ろうという模索の連続だったと思います。自分の能力を最大限引き出すには自分という人間を客観的に把握していないとできないはずです。僕はどばたでそういうことに気付いて少しは大人になれたかなと思います。
2010年
村田 勇気さん(2010年彫刻科)
富山・県立高岡高等学校 現役
合格大学:
東京芸術大学 美術学部 彫刻科
『限られた時間の中で』
私のスタートはかなり遅く、実技に本腰を入れるようになったのは高校3年生の秋。塑造に取り組み始めたのもこの時期からでした。
それまでは普通の進学校に通いラグビー部に所属し活動する傍ら、空いた時間にデッサンを重ねていたのですが、力試しに当校の公開コンクールに出てみたところ、当然の如く揮わぬ成績に終わり、大変悔しい思いをしました。それを契機として本格的に志望先へと焦点を当て始め、当校の冬季及び入試直前講座を受講するに至りました。
受験までのごく短い時間と、圧倒的な経験不足という致命的とも言えるハンデの中、いかに他の受講生たちと比肩し得るレベルまで自分の実力を高めていくか。それが私にとっての最重要課題だったのですが、その際に実践したのが以下の4点でした。1.1日あたりの実技の絶対量を増やす。2.講師陣の指導を徹底的に実践する。3.周りの生徒のテクニックを接収する。4.参考作品を徹底して分析する。
一見すると当たり前かつ簡単すぎる内容なのですが、、これらが絶大な効果を発揮するに充分な要素がすいどーばたには凝集されているのです。1〜4におけるそれぞれの具体例を挙げるならば、以下の通りになります。1.早朝も夜間もアトリエを使用できる。2.優秀な講師陣が熱心に指導して下さり、力をつける上での具体的なアプローチを提示して下さる。3.全国から実力者が集っている。4.膨大な資料がジャンル別に整理されている。
このように優れた環境に囲まれていたおかげで、2ヶ月弱という短い時間の中でど素人からそこそこのレベルにまで力をつけることができました。
こんな環境を利用しない手はありません。あなたも今スグすいどーばたへGO!!
2011年
榎田 進之介 さん(2011年 彫刻科)
東京・広尾学園高等学校 現役
合格大学:
東京芸術大学 美術学部 彫刻科
多摩美術大学 彫刻学科
『出会い』
ボクの体験記は芸大の1次合格発表の日からはじまります。その日ほど芸大に合格したいと思った日はないし、今まで芸大を目指してきたくせに、その日ほど芸大の厳しさを知った日はないからです。1次発表の当日、ボクは少しドキドキはしていたもののわりと楽な気持ちでその日を向かえていました。芸大の勝負は2次、1次は突破して当たり前と思っていたからです。甘く考えていたわけではありません。すいどーばた美術学院に通い、参考作品もたくさん見て、これが芸大に受かるデッサンなんだと理解してたつもりでした。その上で、1次試験前のすいどーばたのデッサンは現役、浪人ともにいままで見たことのないような素晴らしいものが並び、あまりの迫力にボクは本気でこれはほとんど全員1次合格しても全然おかしくない、自分も絶対その中にいなくてはと思いました。
あっという間に1次が終わり発表の日、予備校の仲間たち数人と発表を見に行きました。その中で1次合格はボクだけでした。えっなぜ?みんなあんなに頑張ってたのに、すごい上手いのに、仲間たちは自分のくやしい気持ちをおさえボクに頑張れと言ってくれました。芸大の厳しさが改めてボクに重くのしかかります。みんな粘土もとても上手いのに、当然2次試験で競いあうことになると思っていたし、誰が芸大に入ってもおかしくないと思っていたのに、こんなにも厳しいなんて、ずうずうしかったかもしれませんが、みんなのくやしい思いの分もボクが合格してはらすしかないと本気で思いました。
2次試験当日、手が出たらあの人、首像はあの人、構成はあの人、と仲間を一人一人思い浮かべます。予備校の先生、高校の先生、学校のみんな、家族を思い浮かべます。そうして挑んだ2次試験は今までとはくらべものにならない作品をボクに残さしてくれました。この結果に導いてくれたすべての出会いに深く感謝します。ありがとうございました。
2013年
室井 颯輝くん(2013年 彫刻科)通信教育生
香川・県立高松工芸高等学校 現役
合格大学:
東京芸術大学 美術学部 彫刻科
(入直のコンクールで浪人生を押さえ2位に食い込んだデッサン。上手いというより素直なデッサンですね!)
『見ること』
私は、高校2年の夏季講習会で初めてすいどーばたに行きました。それまで地元の高校でしか作品を作っていなかった私にとってすいどーばたの空気はとても新鮮に感じられたことを覚えています。そしてその中で私は、自分には明らかに力が足りないことに気がつきました。その後、高校に通いながら通信教育を受け、講習会の度にすいどーばたに通い、できる限りの努力をしました。コンクールの結果もある程度ついてきたこともあり、実力はかなり付いてきたと思っていました。
しかし、冬季講習の中頃、私はかつて無いほどの不調に陥りました。
デッサンが納得いかないまま時間が過ぎ、途中で終わる。そんなことを何度も繰り返しました。原因はおおよそ分かっていました。テクニックに頼りすぎたデッサンに限界がきて、崩壊していたのです。ある先生に、「今お前のデッサンが途中で終わるのは自分でどこか引っかかってる部分があるからだ。そこで自分の手を頼るんじゃなく、目でしっかりモチーフを見て描いて欲しい。途中で終わるのはお前の目が正しい証拠だ。」と言われ、この時から意味も分からず「モチーフを見る」ということを常に課題にして作品を作りました。
初めは上手く行かず、見るってなんだ?としか思いませんでした。
しかし、少しずつモチーフを見ることができるようになってきて自分の作品がよくなっていきました。自分が納得できる「作品」を作りたい。そんなことも考えながら作品を作っていると、気づいたら、今私が作品を作る上で一番大切にしたいと思う、「モチーフを見てその感動を写し込む」ということが出来るようになっていました。
しかし、1人じゃ絶対にここまで来ることは出来ませんでした。こんなに素晴らしい事を気づかせてくれたのはやはり、今までに出会ってきた先生であり、ライバルであり、支えてくれた人々です。感謝してもしきれません。本当にありがとうございました!
2014年
笹野井 もも さん(2014年 彫刻科)通信教育生
静岡・県立清水南高等学校 現役
合格大学:
東京芸術大学 美術学部 彫刻科
『今できることを』
私は地方の美術科のある高校に通う高校生でした。高校の先生に勧められて高校2年の夏から、何度かすいどーばたの講習会に行くようになりました。
そして高校3年の秋からは高校に通いながらすいどーばたの通信教育を受け始めました。朝早く高校に行って誰もいないアトリエでこそこそデッサンを描きました。
私は高校とすいどーばたでは指導内容や雰囲気が大きく異なるように感じていました。
自分の作品に対して多様な意見が聞ける良さと、何を吸収し次の制作に活かすべきか自分で選択しなければならない難しさがあり、2つの場所で彫刻を学ぶ上で考え悩むことがたくさんありました。
しかし入試でどんな結果が出ようと後悔や言い訳をしたくないし、良い作品を制作するために出来ることはなんでもやりたいと思って通信教育をつづけました。
入直に入ってからは、すいどーばたで一日中制作する毎日で、
通信教育では添削してもらう機会の少ない塑造が著しく良くなっていくのを感じました。
しかしこれまでがんばってきたデッサンはなかなか伸びず、
結局入直最後のコンクールまで、納得するものが描けませんでした。
先生に「自分に不足しているものに気をとられ過ぎている」と言われ、
自分がビビっていることに気づきました。
先のことはなるようにしかならないし、
いま出来ることをやるしかないじゃないかと
開き直ったら、とても気が楽になりました。
そして一次試験の3日前になって、
ようやく自分がいいなと思うデッサンが描けるようになりました。
これからも自分が納得できる作品を、
楽しみながらつくっていきたいです。
これまで私に様々な影響をくださったすべての方に感謝します。
2015年
中村 那由多さん(2015年 彫刻科)
東京・都立荻窪高等学校 現役
合格大学:
東京芸術大学 美術学部 彫刻科
『合格体験記』
・受験前
私のどばた体験は中学2年の夏季講習が最初です。高2からは油画科(基礎)に在籍していました。小学4年で油絵を習い始めて以来、ずっと油画指向。彫刻とはまったく縁がなく、紙粘土すらろくに扱ったことがなかったのです。それが、高2の春季講習で彫刻基礎を体験し、高3を彫刻科夜間部生としてスタートしました。転科して1年で合格するまでは、様々なエピソードがあったのです。
それをすべて書くとキリがないので、受験直前からの出来事を実況風に綴ることにします。
冬季と入試直前講座では、昼間部・夜間部・ときどき残業(自主クロッキー部)をこなしていたのですが、私にとって一番難しかったのは「彫刻的な」デッサンを描くことでした。そして、ついに3月に突入。
夜間部で、石膏デッサンをしていた時のことです。ある先生が突然、
「キミ、背景付けなよ」
「......(えっ、いやいや、このデッサンあと2時間しかないんですが。それに一次まであと3日なのに今さら描き方を変えろと!?)」
「付けなよ」
「..................」
と、言うわけで、石膏像に背景を付けるという油画時代の描き方に戻してみました。が、やはり(彫刻では背景を付けたら受からないのでは)と不安でした。
でもそんな時、また別の先生が、「描き方なんて考えなくて良い。感じたままに描くんだ」と教えてくれました。おかげでその翌日、つまり一次試験の前日には、スッキリした気持ちで、私本来の描き方が出来た気がします。
・受験中
私はトルソーが苦手で、一次試験の前日の夜、「神様、円盤とアムールだけは出さないでください」とお祈りしました。しかし、一次の課題はまさかのアムール。あんなに祈ったのに! すでに描く前から涙目になっていた私ですが、どばたの先輩に「ま、難しいほうに考えるな」と励まされ、どうにか冷静に画面に向かうことが出来ました。
幸運なことに、試験場の重厚な空気感は私を落ち着かせてくれました。この空間を感じながら背景を付け、最後まであきらめずに描こう! と思った矢先。消しゴムペンの調節をしていたら、壊れちゃったのです。......正直、あきらめかけました。しかしその時。近くにいたどばたの仲間が、余分に持っていた消しゴムペンを1本貸してくれたのです。
これで落ちたらカッコ悪すぎる! と描きまくり、一次を突破することが出来たのでした。助けてくれた仲間たちには足を向けて寝られません。
二次試験の素描課題は、与えられた素材で立体をつくり、描くというものでした。私は気合いを入れて立体をつくり、それを遠くから眺めて(うーんカッコいい)と悦に入りました。その時点で30分経過していることに気づき、あわてて描き始めるというボケをやらかしましたが、一次に比べると落ち着いて作業出来たように思います。
その夜、急な喉の痛みと発熱で救急病院に駆け込み、迷惑がられたのが唯一のトラブルと言えるでしょう。
そして翌日、いよいよ、二次の塑造です。課題はアムール。(またお前か! 出たがりか! もしかして、私が出るなと言ったから怒ってるのか!?)と、軽くツッコみたくなりましたが、一次の時と違って、この出題を楽しんで受け入れることが出来ました。一次の時に励ましてくれた先輩に、謎のテンションで話しかけてしまったほどです。
「先輩、アムールですよ!」
「......う、うん、そやな」
と、微妙に引かれましたが、そのくらい落ち着いていたのです。
作業中は、彫刻的な仕事がどうこうよりも、アムールの美しさや、佇まいの上品さを、拙いなりに表現することしか考えませんでした。このときの私は、「感じたままに描く」という先生のアドバイスを、無意識に実行していたのかも知れません。
・発表
そして発表日。13日の金曜日、うららかな上野公園内を通って、母と一緒に(どうせないんだろうな)と重い足取りで会場に向かいました。門を入り、掲示板に目を凝らすと、......あった。いやまさか、いやいやいや、と受験票を確認すると、やっぱりある。それでも信じられず門まで戻って、守衛所の係の人に訊ねました。
「番号あったらどうしたらいいんですかっ?」
「中央棟に行って手続きをしてくださいね」
と、落ち着いて道案内をしていただき、中央棟へ猛ダッシュ。書類を渡してくれるお姉さんに、
「本当に私の番号ありますか?」
「ありますよ、大丈夫ですよ(ニッコリ)」
と、ここでもまた慣れた対応をしていただき、桜色の袋を受け取って呆然とどばたに向かい、先生がたに背中をバンバンされ、ひとまず激動の受験生活が終わったのです。
・あとがき
ダラダラと書いてきましたが、受験、楽しかったです。二次試験の昼休みに木彫室の木屑だらけの床に直に座ってお弁当を食べたのも、なんだか遠足気分でした。でも、そう思えるのも、私の受験生活を支えてくれた人たちがいたからです。
デッサンに背景を付ける楽しさを(半ば強引に)思い出させてくれた夜間の先生。
私の不安を取り除いてくれた先生。
指導してくれたすべての人たち。
励ましてくれた仲間、助けてくれた仲間、夜間部の後で一緒にクロッキーをした皆。
受験日の朝立ち寄ったカフェで気持ちをほぐしてくれたスタッフさん、沿道でカイロを配りながら「頑張ってください」と声をかけてくれた業者さんたち、そして、発表日に一緒に猛ダッシュしてくれた母に、心よりの感謝を捧げます。