「インタビュー企画第6弾」
インタビュー第六弾はドバタから巣立っていった学生のみなさんがその後、大学などでどのような活動をしているのかに迫ります。大学での生活や作品制作、カリキュラム以外での自主的な活動など、大学に入るとどのような日常が待ち受けているのかを聞いてみました。皆さんに近い等身大の大学生の生活、自主的な活動など参考になるお話が聞けると思います。
今回は、広島市立大学に進学し、この春卒業を迎えた黒田君と丸橋君に話を聞いてみました。クラス担当した西嶋と広島の展覧会に参加した吉田がインタビュアーを務めます。
黒田大祐君と現在の作品
丸橋光生君と現在の作品
吉田(以下Y):今回はすいどーばた出身者が大学に進んでどんな活動をしているのか?紹介して、すいどーばたで勉強している皆さんにアフタードバタのイメージを持ってもらおうという企画です。まずはお二人とすいどーばたとの関わりから聞きいていきたいと思います。
二人は結構浪人が長かったように思うけど何浪してたんだっけ?ちなみに僕は3浪なんだけど・・・
丸橋(以下M): 僕は3浪しました。
黒田(以下K): 僕も3浪しました。長いですね。
西嶋(以下N): 二人は京都から出てきて下宿生活をしていたけど、暮らしとか変化しました?二人とも バイトしながらじゃなかったっけ?
M: そうですね。浪人中バイトはずっとしていました。 でもあまり大変だとかっていう気持ちは無かった気がします。バイトをしている人は他にもたくさんいましたし。僕は田舎から出てきてたんで、特に始めのころは美術館やライブハウスなんかによく出かけ、刺激的なものを沢山目にしながら、東京での生活を楽しんでいたような気がします。2浪、3浪となるにつれて、精神的に徐々にしんどくなっていった気がします。
K:僕はかなりバイトしましたね。1浪の頃は正直、両立が難しくて病んでいました。でも2浪3浪としていくうちに、当然ですけど生活力とかついていった感じはしますね。なんというのか慣れかもしれませんけど健康になっていきました。
黒田大祐君 すいどーばた時代の塑造作品
N:精神的には重くなり、肉体的には軽くなる・・・重い言葉ですね。考え方なんかは変化しましたか?
M:僕の場合考え方は3年間変わらなかったかなあ・・・、それは良くない事だったと思いますが・・・。一つ変化があったとしたら2浪目までは芸大一本だったんですが、3浪目の春に今年で浪人は最後にしようという決心みたいなのがあって、他の大学も受けることにしたことでしょうか。黒田は1浪から3浪にかけて考え方に変化はあったりしたのかな?
K:どうかな〜。う〜ん、浪人に金を使う事は勿体ないと思うようになって、自己投資もいい加減おんなじ事ばかりは無駄とは言わんけど、アホらしくなって。ちょっと考えて、喫茶店でコーヒー飲んで考えてるうちに、芸大じゃなくてもいいと思えてきたんやな。
N:二人とも塑造力中心にかなり力をつけて、浪人でやる勉強をしっかりやれたから、そのような境地に行けたのかな?「学び尽くした!」みたいな感じってあったのかな?
M:そうですね。実力がついてきて、でも同時にマンネリ化してくるのもあって、もう次のステップに進んだ方がいいなと自然になりました。学びつくしたかどうかは解りませんが。
K:嫌いな石膏像がまあそこそこ描けるようになって、そうしたら、逆にこの先はもう本当に長いと思ったし、デッサンや塑造は上手くなり続けるかもしれませんけど、ただそれだけで、試験の日に緊張しない自信は全然いつまでも持てそうになかったんです。試験は陸上競技やスポーツに似たところがあって結果を出さないとダメで、ジワーと何とかなるようなことは一つもないですから、そういう勝負は肌に合わないし、もっと違う基準で勝負したいと思ってきたんですね。3回も負けて学び尽くしたというよりは、そういうことを思い知らされた感じです。
M:そうやな、結局その日(試験の日)が大事なのが解ってくる。ほんならその他の日は何なんやとなるしな。そこで遊んでしまう人もいるけど、遊んでも勉強しても試験のその日だけ良ければ良いということで遊んで多浪して、それで受かってもねえ、人生はそこで終わる訳やないから、ずっと続いていくと思うと結局困る事になるよね。遊ぶ事も大事やと思いますけど、勉強も大事なんです。
K:器用にできたら一番いいんですけどね、結局試験は受かった方がいいです。
M:でも3年も居たから友人も沢山できたし、今でもその頃の友人とは交流がありますがとても刺激になります。だから3年間あの時は苦しさもあったけど、今思うと3年位いて丁度良かったかもしれないと思うし、事実、今その頃に助けられてると思います。
K:そうやね。
丸橋光生君 すいどーばた時代の塑造作品
N: つらく長い浪人生活だった訳だけど、実技以外に培われたものとか、何かあったのかな?
M:そうですね、自主性というのか、良くも悪くも自分で判断して行動することでしょうか、考えているだけでは何にも成らないのでやってみる姿勢かな。ドバタで言えば朝早く来てやるとか、自主課題とか、まあ遅刻しないみたいな事を含めて自分にはね返ってくるんだぞっていう。
K:ああなるほど。
N: 「自分に跳ね返ってくる」っていうのは、人生の教訓だね。黒田君はどう?
K:先生の批評を鵜呑みにし過ぎないとかね。やっぱり自分で判断しないとね。素直に聞くにしても、試験でもそうだし、浪人が終わってもそうだしね。僕は自分では素直に聞き過ぎる感じだったと思ってんだけど、これは講評じゃなかったと思うけど、中瀬さんが「報われる努力をしろ」と言ったのをよく覚えてるなあ。その時は全くその通りだなあと思った。浪人生は特にそうだと思う。
M:へえー。
広島時代
N:そういった浪人生活を経ていよいよ広島での生活がはじまる訳だけど、大学ではどんな作品を作るの?人体とかがやっぱり多い?
M:そうですね。カリキュラムは人体中心です。広島市立大学の彫刻科では、学部の間はどの学年も半分は人体の塑像に時間が当てられています。残りの半分で、石、木、金属、テラコッタなどの実習を行います。それらの実習も基本的には人体の制作になっていますね。
卒業制作あたりから、自分なりの展開を加えて作品の制作をはじめる人が出て来る感じです。
大学院以降は人体の制作だけを続ける人もいますが、大きな構造物の様な作品やモニュメント的な作品を作る人も多いように思います。広島は東京のようにギャラリーがいっぱいあるわけではないので野外での展示やプロジェクトでの展示が多く、そのため大きな作品やサイトスペシフィックな作品を制作される方が多いです。
K:学校も新しくて広いですし、設備が充実してるから大きいのが作りやすいかもなあ。でも今のカリキュラムは人体が中心だね。
M:うん。まあでも、大学の課題と自分のしたい事が一致するとは限らないけど、
強制的にせよ自分だけでは得られない知識や経験があるから、両立させるしんどさも含めて楽しいですね。
K:うんうん
N:課題やカリキュラムの制約をそういう形でポジティブに受け入れてやっていけるのはいいことだね。
Y:大学でのカリキュラム以外の活動をなにやら二人はやっているように見えるんだけ ど、少し詳しく聞かせもらって良いかな?
M:僕は昨年、柳幸典さん(現在広島市立大学の准教授をされています。)がプロデュースし、広島で開催された「旧中工場アートプロジェクト」に参加させて頂きました。この展覧会は旧ゴミ処理工場、吉島という住宅街、日本銀行の旧広島支店の三つの会場からなっていて、それぞれの会場にコンセプトが与えられて、そのコンセプトに沿った作品が各会場で展示されているというもので、総勢60名を超えるアーティストが参加しました。
僕はこのプロジェクトの少し前に、あるビルの前に作品を設置させていただく事があって、それがキッカケで声を掛けて頂きました。著名なアーティストが多く参加されているプロジェクトだったので、かなりやりがいはありましたね。この展覧会の時はプラスチックの作品を短期間で約50個作ったんですが、大学の課題と違いやりたい事をやっているという楽しさはありました。でも完成が間に合わなかったら色んな人に迷惑をかけるし、緊張感はとてもありましたね。(笑)友人に手伝ってもらったりして何とか間に合わせることができましたが。
Y:他の科とも連携して企画に携わるのは貴重な体験ですね。
丸橋光生君の現在の作品
Y:黒田君はどうですか?
K:僕は浪人の頃から続けていた劇団のようなものを引きずっていて、今もパフォーマンスと言うか、変なダンスのような事をする集団を率いています。広島ではビルの屋上などでお金もらって公演したり、広島のお祭りに出たりしてます。ダンスの人とも交流ができて、とあるダンスサークルのお手伝いで国際展に参加したりと意外な展開がありますね。あくまで彫刻が本業と思ってるんですが、昔から彫刻以外で褒められる事の方が多いので何ともいえない気持ちになります。勿論カリキュラムにはダンスはありません。
M:ビルの上でやったパフォーマンスには僕もでていました。(笑)
K:丸橋はなんでもやるね〜。
Y:その辺の課題以外の制作は大学を使っているの?
M:僕は大学で作品を作ることが多いですね。大学にはプラスチックと塗装専用の工房もあるのでプラスチックをやるときはそこを使わせてもらってます。他にもいろんな工房があります。うちの大学は設備が充実しているので使わない手はないです。人脈などは、大学内、大学外問わずに広がっていきますね。僕の場合は作品を本格的に創り出してから広がりました。作品をみてもらう事があって、それがキッカケで興味をもって頂いたり、展覧会に誘って頂いたりといった感じです。
黒田は?
K: 僕の場合は家でも学校でも制作しますね。僕の家は普通のマンションで7畳くらいの広さなんですが、一度家で7mくらいの大きさの作品を家で作ったことがあって、その時はもうホントに隙間で生活するかんじで、しゃがんでるか丸くなって寝てるしか出来ませんでした。「家に帰りたくない!」とか「雨でも出かけたい!」みたいな凄まじい狭さでした。そんなこともありました。
M: へ〜
K: 学校に居場所が無い訳ではないので、今は大きなものは学校でつくります。
Y:学部在籍中からそこまで活発に活動するのは珍しいと思うんだけど、どういった考えからそういう活動をしているの?
M: 確かに周りにそういう人はいませんね。
K: うん。性格もあると思いますけど、
M:大学での課題に興味がもてないわけではないですが、これだけ(課題だけ)やっててほんとにいいのかな?というようなことは思っていたと思います。いずれは社会にでて美術を続けていくわけですし、大学の中でじっとしているのは逆に不安だったりします。何かしないとと思いながらなにもできずにいたところに、タイミングよくビルの前に設置する彫刻の制作の依頼や、プロジェクトのお誘いがあったりしました。実際それらの仕事をさせてもらって、少しはやれるかなという自信はつきました。
Y:やっぱり危機感みたいのはあるんだね。その危機感を活動のエネルギーに換えて活動していくのがすごいね。黒田君はどう?
K:大学が地方なんでこのままでいいのか!みたいな危機感はすごくあって、なにかやらねばと足掻いているだけで、クールやれたらいいと思います。でも浪人生が大学に落ちたときの悔しさで、上野から歩いて池袋まで帰るとか、終電まで山手線ぐるぐる乗ってるとか、そういうよく聞く異常行動を起すエネルギーに比べたら、大学での足掻きはまだ省エネですね。もっとなんとかしなければと思います。でも異常行動は避けたい。
M:異常行動は避けたいね。
黒田大祐君の現在の作品
ヒロシマ・オーについて
N:ヒロシマオーについて、概要というか、簡単に教えてください。
M:ヒロシマ・オーは若手美術作家による展覧会です。黒田を中心に広島の若手美術作家が運営を行い開催しています。広島では先程も言いましたがギャラリーの数が少ないせいもあり、若手美術作家の作品を観る機会というのが、東京などに比べると格段に少ない状況にあります。そこで関東や関西で活躍されている若手作家の方と広島の若手作家とが合同で大規模な作品の発表を広島で行って、そのエネルギッシュな表現を広島の方達に見て頂こうというものです。作品の発表と、若手作家の交流から広島の芸術や文化がより活気づくことを目的としています。
K:これまで二回開催しどちらも20名前後の活躍中の若手作家の方が参加されました。朗さん(吉田)には二回とも参加していただいています。
Y:ヒロシマオーをやろうと思った動機ってなんなのかな?そもそも二人で思いついたの?それともどちらかが誘ったのかな?
M:もともとは黒田のアイディアでした。ね?
K: そういうことになってるんですけど、何でこんなことしてるのかとアホらしくなるときもあって、誰が考えたんだっけ?と丸橋に聞くこともあります。
M:聞かれてもこまるわ。
K:でもそんな感じで誰かという個人が強く出ないから、皆でうまくやってるということなんでしょうね。東京に比べたらギャラリーも少ないし、学生も少ない。そんななかで東京に行くという発想では限界があって、みんながそういう風にするととても窮屈で一方通行だと思うんです。もうすこしやりようがあるんじゃないかと、無いものは自分で作ってしまえ!というような少々乱暴な、でもそういうことです。
自分達で展覧会をつくるという事はグループ展としてはよくありますよね。ああいう感じをただデカくしたらいいんじゃないかと、こういう単純な事なんですけど、それを必要としている場もあって、それが広島では物理的な面でのハードルが低くて出来やすかったんです。もし続いていけば何となく何かボヤ〜とジワ〜といい事になる気がします。
Y:建物について 広いし味わいのある建物なんだけど、これも少し教えてください。
旧日本銀行広島支店外観
M: 広島市の中心部にあるこの建物、旧日本銀行広島支店は1936年(昭和11年)に日本銀行広島支店として建てられました。第二次世界大戦時に被爆していますが、爆心地からわずか380mという近さにありながらもその堅牢なつくりから建築当時の外観をとどめています。戦後も日銀支店として使われ続けていたそうです。日銀支店が1992年に移転した後、広島市の市指定重文に指定され、同時に日本銀行より広島市に無償貸与されました。そして現在は広島市の管理のもと、市民も利用が可能となっています。原爆ドームと並ぶ広島の歴史を象徴する建築物です。
K:結構頻繁に平和関連の展示や美術展などが行われています。
N:こういった建物で美術展示が出来るってことは、広島という街にこういった活動を受け入れる、そういう環境があるのかな?
K: そうですね?。確かにそういう風にしていこうというような行政などの動きはあるように思いますが、環境が整っているとはまだいえないかもしれません。
M: そうだね。
吉田朗ヒロシマオー展示作品
N:朗(吉田)は展覧会に参加してみて、 どう感じたの?
Y:去年は黒田君と丸橋君で仕切っている感じがしたんだけど、今年はなんか組織が厚くなっている感じがしました。二人の下級生にあたる世代の人も参加していたよね。
M:そうですね伝えていくというより、参考にしてもらえればいいとおもいます。
K: そうやな
N:ヒロシマオーをやることは、市立大学の人たちにどう認知されているのかな?どんな目で見られているの?
M:どうなんでしょうか?でも今年二回目でしたが、やはり前回よりは認知されてきてるなあとは思いました。見に行くよ、と声を掛けてくれる人は増えた気がします。他の専攻の先生からヒロシマ・オーについて話しかけられることもありました。
K:良くも悪くもやってることがジワ〜と浸透してるといいですね。
Y:大学サイドは学外での展覧会に積極的に見えるけど、そういうサポート体制みたいなものはあるの?
M:学生の自主的な活動に対する金銭面の若干のサポートはありますね。
広島市立大学
Y:ヒロシマオーの搬入の日に作業していていたら、二人は卒業制作の搬入をしているって聞いて、卒業制作と時期をかぶらせるなんて大変というか、この人達は異常だ!(良い意味で)と思ったんだけど、すごいバイタリティーだよね。なんか突き動かされるものがあるのかな?
M:なんでしょうか・・・。やっぱりあっという間に時間は過ぎていきますし、やれることはやっておこういうのはあります。少々無理するぐらいでいいんじゃないかと。
K: 僕は「しまった!俺は馬鹿だ!」と後悔しました。事の重大さに気がつくのが遅いと言うか、すぐ忘れるんですかね。
でも展覧会の準備のどこかのタイミングでは気がついて考えて「大丈夫や」という結論を出しているんでしょう。事実過ぎさってみれば、かぶってた事自体忘れかけています。
Y: 卒業後は二人はどうされるのですか?
K: 僕も丸橋も大学院に進学します。
Y: そうですか、これからより活動を発展させていくのが楽しみですね。最後の質問になるのですが、ふたりの現在にドバタ時代はどんな影響を与えましたか?
M: やっぱり自分のものづくりの原点のようなものがあるように思います。僕はデッサンより塑像が好きでしたが、ただの粘土のかたまりが試行錯誤していろいろ手を入れていくうちに、ある瞬間から粘土ではなく全く別の質感が現れてくる、そしてそこにある世界が生まれる。そういう感動をドバタでたくさん味わったと思います。作る喜びでしょうか。今でもやはり感動や喜びを求めて作品を制作していますし、そういう感覚はドバタの頃と変わってないと思います。ドバタ時代の思い入れの強い作品に関しては、制作当時の気分や、考え、情景、感動をはっきり思い出す事ができますね。
K: つらくて、しんどくて、我慢して、ともかく自分の程度を思い知らされて、反省して勉強しましたから、少しは反省的思考を身につけられました。デッサンや彫刻は上手くなったとも下手になったとも何ともいえない感じですが、ともかく一生懸命やりました。今は、やはりそれでこれからもそうしていかないといけないという気持ちになります。
Y: 浪人時代の話の「試験のその日だけ良ければ良いということで遊んで多浪して、それで受かっても、人生はそこで終わる訳やないから、ずっと続いていくと思うと結局困る事になるよね。」という言葉が、私にはとても印象的でした。作り続けるということは日々の積み重ねであり、それは浪人時代も大学を出ても変わらず続いていくことですしね。危機感をもちながら、それを自らの活動やバイタリティーで克服していく姿に「強さ」を感じました。お二人の話、皆さんはどのように感じましたか?予備校生だけでなく、大学に進学した学生にも参考になる貴重なお話を聞けたと思います。ありがとうございました。
黒田大祐
個展
2007 「自然のめぐみ」 広島 新地ギャラリー
主なグループ展
2005 「gobbledygook」 東京 銀座小野画廊2
2007 「ヒロシマ・オー」 広島 旧日本銀行広島支店
「日本文化と造形芸術」展 広島 広島大学内
「大塚かぐや姫プロジェクト」 広島 安佐南区大塚
丸橋光生
個展
2007 art space HAP 広島
2007 新地ギャラリー 広島
グループ展
2005 「gobbledygook」 東京 銀座小野画廊2
2006 「ヒロシマ・オー」 広島 旧日本銀行広島支店
2007 「小野画廊小作品展」 東京 銀座小野画廊
「旧中工場アートプロジェクト」 広島 吉島地区
「kwon-ki」 広島 ギャラリーG
「日本文化と造形芸術」展 広島 広島大学内
その他
野外彫刻「今日のためのうた(1)(2)」が広島パークビル・ストリート・ギャラ
リー(広島市中区大手町)に現在設置中。(2008年9月まで)