●彫刻家 藤原彩人に聞く!
「インタビュー企画第3弾」
彫刻家 藤原彩人に聞く!
インタビュー第三弾は、彫刻家の藤原彩人さんです。すいどーばた美術学院 彫刻科を出て約十年、9月からの渡英を控え、まさに世界に羽ばたこうとしている藤原さんにお話を伺います。現在予備校生の皆さんは、十年後の自分の姿を想像しながら読んでいただければと思います。
今回は藤原彩人さんと浪人時代を過ごした、吉田朗がインタビュアーを務めます。
藤原彩人 Ayato Fujiwara
75年京都府生まれ、すいどーばたには基礎科から通う。すいどーばた 彫刻科での三浪を経て東京芸術大学彫刻科に入学、同大学院を経て同大助手勤務、07年8月末よりギャラリー21+葉にて個展開催、
07年9月より文化庁海外派遣研修員としてイギリス、ロンドンに滞在(ビクトリア・アルパート美術館)
すいどーばた時代
吉田(以下Y):まず、すいどーばた時代のお話から聞かせていただきます。すいどーばたにはいつ頃から通われましたか?
藤原(以下F):高校二年の春の基礎科の講習会が初めてです。
Y:そのときのドバタはどうでしたか?
F: モノを作るのが好きな人間がこんなにいるのかと驚きましたよ。
Y:彫刻科にいこうと思ったきっかけは何ですか?
F:初めは絵画に興味があったけど、彫刻家の描く絵がすきでしたし、彫刻家という生き様に漠然とあこがれて、高校三年の春期講習を受講しました。その後、家が遠かったので夜間部には通えず、土日コースを受講していました。
Y:えーっと、ご実家は栃木の益子ですよね。結構、大変じゃなかったですか?
F:片道四時間・・・
Y:それって往復八時間ですよね・・・ガッツありますね。
F:その頃は単純に東京に行くことに優越感があったからね。田舎の高校生でしたからね(笑)
Y:その後、大変残念なことに、3浪されましたよね。僕もですけど(笑)。3年間の浪人生活いかがでしたか?
F:今改めて僕は「3浪すべくしてした」と思っています。
Y:どういう事ですかね?
F:1浪2浪と、受験という感覚はなくて、ドバタの生活もアフタードバタも満喫してましたね。ただ感覚的に、デッサンをしていたのかなー。参作とか見て「神がいる!」とか思っていたしねー。
Y:それは、客観的で冷静では無かったってことですよね。
F:そうそう、浮き足立ってたというか純粋だったナーと思うよ。
けど、二浪で落ちた時に、初めて客観的になれたのかな。それまでは、本当に感覚だけで描いていた。だけど、三浪目の時に「これは受験だ。だから答えがあるんだ。」と思い、今までの自分の実技を見直しました。実際にデッサンも引っ張り出したし。受験というものを自分なりに整理できたのかもね。
Y:このデッサン覚えてますか? 合格する前、最後のデッサンです。
F:おーー 懐かしい。今描く絵と、変わらないねー。
Y:どういうことですか?
F:10年経ってみると、自分の興味がある箇所がわかるね。単純に炭のタッチとか色合いとか、今興味があることと かぶるところがあるよ。
Y:それは意外なお言葉。つまり、受験のデッサンでも、自分の好きなことが描けてたってことですよね?
F:受験で学ぶことは学びきった気がしたし、もうココで学ぶことはないと思えたからこそ、自分の好きな事が出せたし、楽しく自然に描けたんだと思うよ。
Y:落ちて客観的になり、自分に足りないものを見つけて、それを学びきって、その上で好きなことが出せた感じですか。そう言われると、このヘルメスのあたりの何枚か、それまでのデッサンと変わりましたよね。がっちり押さえるだけじゃない何かを入れてきてるなー、行っちゃうなー って密かに思ってました。
Y:芸大受験の時って憶えてますか?
F:最後の芸大受験の時は私大も受かってたし、浪人が終わるっていう安堵感が強かったなぁ。プレッシャーから解放されて、とにかく一生懸命描いた記憶があるよ。
Y:マルスとミミズクでしたよね。それで、二次試験はラボルトの模刻。
F:ラボルトも、ただただ、よく見て一生懸命つくった、それだけ!
Y:まさに学びきって初心に帰る感じですね。
F:そうですね。受験の勉強は答えがあるものだから学びきれるものだと思うよ。
大切なのは学んだ事を、自分でどう整理してどう使うかということだね。
Y:他に、どばた時代の思い出とかありますか?
F:偉大な彫刻家的飲み会!
Y:偉大な彫刻家的飲み会?
F:つまり自分たちが偉大な彫刻家になっているかのように思いこんでいるだけの集会。宇宙に彫刻を置くとか、地球をまっぷたつにしたらどうなるとか?机の角には全ての力があるとか・・・そんな話を吉田とかと語ったよね。
Y:あー・・・ 相当、酔ってましたね
F:まぁ平たく言えばただの飲み会だけどね。とにかくいろんな友達と他愛のない事をたくさん話したね。今考えれば、その時の自分達は純粋に作家という生き方に、あこがれを抱いていたんだなー。
芸大で・・
Y:このサイトを見てくれるのが、主に予備校生になると思います。それで、僕は予備校時代、大学生活ってどんな感じで時間が流れていくか、漠然としていて想像しづらかったんですが、藤原さんからみて、大学時代ってどうでしたか?
F:とりあえず、校舎が取手だった。
花の芸大生になったと思ったら、上野の桜は入学式だけ、次の日からは取手の一本桜・・・まず取手の一年、いろんな科の人がいて、上級生がいないから、のびのびやれたかな。
Y:取手も、案外良いものですね
F:とにかくまじめにやったよ。周りに何もないし、勉強するしかなかった。作ることに関して情報が少ないし、そのときの美術をなかなか見る機会がなかった。だから、作品づくりに関して保守的だったよね。コレをしちゃいけないんだっていうのがあった。
Y:二年生になってどうですか?
F:二年になって上野に戻って、また一年生の感覚。
今度は上級生もいるし。良い意味でも悪い意味でも。上野の授業はまた新鮮にやれたのは良かったな。
彫刻の授業は二年生の前期まで実材実習で、後半から選択実習になる。そこでぼくはテラコッタを専攻した。
Y:専攻に入ってみてどうでしたか?
F:自分の作品を作ってみて、「やりたいこと」と「素材」ってのが、なかなか思い通りに行かないもどかしさを感じたよ。彫刻や美術を知らなすぎたんだね。
いままでは美術を勉強することを、そんなに重要と思っていなくて、自分の感覚が大事と思っていた。けど、自分の感覚的なモノを具体化するには、比べるものが必要だった。周りを知ることで、自分自身が出てきた気がするかな。
影響されることを恐れるよりもそれ以上に理解することがより大切だと思った。
Y:なんか予備校時代と似てますね。
F:そうそう。それって、浪人の時と同じなのよ。感覚的な判断が優先されることから、知識(他人からの情報)から「自分を知る」ことのきっかけが得られる事に気づいた。
そこから、がむしゃらに情報を入れたなー。具体的にはギャラリーを回ったり、美術本を読んだり、海外に旅行にいったり、・・・とにかくミーハーに動いた。
そして見たこと感じたことを人にしゃべってた。それに対しての人の意見も、ガンガン聞いてた。
Y:それをやればやるほど、自分も見えてくるって事ですよね
F:そう 彫刻に限らず、ニュースでも、音楽でも自分の感覚に従ってがむしゃらに飛びついてた。
Y: 専攻に入り自分の作品を作るようになって、その辺の変化が、一番大きかったですか?
F:そうだね。なかなかうまくいかないもどかしさの裏返しかなぁ。
作品について
Y:1999年ごろから、本格的に大きな作品を作くられていますが、最初はどのようなテーマで作品を作られたんですか?
F: もともと具象をつくれば自分のやりたいことができると思っていたんだけど、大学に入って作った人体彫刻に自分が感動しなくて・・・それは彫刻として致命的だとおもったんだよね。
そこで自分の好きなことをキーワード的に整理しました。そのとき出てきたのが「集積」。人体ではなく人間と言うことを深く考え、そこに居るということを、全ての集積から導こうと、試みました。これを一つの答えとして作品を作っていこうと思ったんだよね
その中でフォルムとしては人間の顔を用いた作品と、人に例えられる擬人化出来るモノ・・植物などを使いながら自分のスタイルを模索してた。
Y:その後、制作スタンスの転換があったようにおもうのですが、具体的にはセラミックによる人体表現、シーン性に重きをおいた彫刻表現に絞り込んできたとおもうのですが・・
F:そうそう、
大学院修了後、芸大の助手を三年ほど勤めたんだ。環境こそ変わらないけど立場が変わった。がむしゃらにやっている学生のエネルギーに感動する部分と、自分がこのまま、このテーマのまま作っていていいのか?学生のときのテーマのまま行って良いのか・・って考えてたんだ。
そこで、まず、今までやってきた集積というテーマでの制作の集大成を試みた。
展覧会は成功に終わり達成感充実感に満たされたけど、空虚なモノが残った。
挫折感のようなモノがあった。
Y:それは何なんですかね?
F:何なのだろうね。ただ、その後いろいろなシリーズ展開をしようとプランは練ったけどどれ一つとして自分にとって新鮮さが無くなって、じぶんが彫刻家としてやっていくことさえ問うようになった。
そのときに二浪のときにやったことと同じなんだけど自分の作品を一つ一つ見直した。その結果、僕は今まで作った作品の世界観をもった人間が作りたいと思ったんだよね。つまり集積された長い時間を孕んだ、現実世界を浮遊しているような人間像を。
Y:大学2年の時に作った人体から、一回りしたわけですね。それで現在のスタイル移行する訳ですか。
F:そういうことになるね。
今、大切にしていること
Y: 藤原さんにとって、彫刻を作る上で大切なこと、意識していることはなんですか?
F: 常にリセットし続けること。
表現者として「疑いなくエネルギーをぶつけている」ってことは、絶対に自信を持って、やってないといけないと思う。ただ、作り続けていると保守的になってしまう部分も当然出てくる。そういう自分に、違和感を覚えた時、それに対して動けるかどうか?ちゃんとリセット出来てるかどうか、そこを大事にしてます。それには客観性だよね。おそらく集中力とは意識せずに自然と生まれてくるものだと思う。けど客観性は意識しないと、ただボケーとしていることになるからね。常に努力すべき事は自分を客観的に俯瞰して見ることだよね。
Y: 自分で気付くのって、難しかったりしませんか?
F: まぁね。ただ環境が変わる時や、日常が変わる瞬間って、今まで自分のやってきたことに違和感を感じる、その時っていい機会になると思うんだよね。「自分も変わらないといけない」と思えるし。
だから自分でそういう状況を作って、常にリセットし続けないといけないと思うんだよね。新鮮さこそが、疑いなくエネルギーをぶつけられる、必要条件だと思う。常にリセットし、新鮮な俯瞰力を保つことが、輝き続けるために必要なことだと思う。
現在
Y:今年は海外での発表が続いていますね。5月にフランス、7月に韓国とどうでしたか?
F:ものつくりって幸せだと実感しました。フランスでは展示とワークショップをやったんだけど、それで感じたのは、思想は世界共通ってこと。美術を通じて、思想としてのコミュニケーションが出来るんだよね。喜んでくれたり意見を言ってくれたり。日本以外でも、自分がやっていることを、理解してくれる。
Y:作品がその場にあれば、もう瞬間的に通じ合えるってことですか?
F:そうだね。本当に実感したね。ただ、言葉はより話せるに越したことはないなと(笑)。
Y:今度は個展、一年間の渡英と続くわけですが、それについては?
F:展覧会は作品をもっとも客観的に見られる場所だよね。いろんな意見も聞くことができるしイメージが初めて具現化するわけだからね。そういった意味でも新たなリセットですかね。
Y:どうリセットされるか楽しみですね。
Y:最後に、これを読んでいる予備校生のみなさん一言いただけますか?
F:「なにか真剣に続けられること」があることは、すばらしいことだと思います。それが、僕にとっては彫刻を作り続けること。
そして、彫刻を作り続けることは、社会の一員として立派な職業だと思っていますし、自分の感じたことを表現という形で残し、世界の中で一つの言葉として存在していくすばらしい職業だと思っています。みなさんも、真剣に続けられることを持っていること、そして彫刻家になろうとしていることに、誇りをもってがんばってください。
Y:どうもありがとうございました。
最後に。8/27-9/8に藤原彩人展が銀座のギャラリー21+葉で開催されます。渡英前最後の個展となります。どうぞみなさんお見逃し無く!