今年度退職の立花先生より

 神戸出身の私が初めて東京に出てきたのは、高三の大学受験の時でした。
 私立の受験に失敗し残すは東京芸大のみとなったのですが、全く自信の無かった私は会場に行くことすらためらっていました。 
 母の叱責で嫌々ながら会場に行ったのですが、そこで改めて自分の力のなさ、知識と経験の違いを思い知らされました。その時、やはり東京で学ばなければこの差は埋まらないと実感しました。
 すいどーばたに通うことにしたのは、高校の美術室にすいどーばたの石膏デッサンポスターが貼ってあり、いつもそのポスターをお手本にデッサンしたからです。その予備校が当時芸大の合格率が高いなどということは全く知りませんでした。
 鞄一つ持って東京駅からすいどーばたに直行しました。住むところも決まっていなかったのでとりあえず、先輩のアパートにしばらくやっかいになりながら、アルバイトと下宿を探しました。とても不安でした。
 授業が始まり、講師と進路について面接をしたのですが志望校を造形大と多摩美と武蔵美と申告しました。講師から「なぜ芸大は受けないのか」と問われたのですが、自分など受かるはずがないと思っていたので、始めから考えることすらしていませんでした。
 その私が一浪の時受験したのは、多摩美と芸大で、芸大は1次試験で落ちたのですが多摩美は合格しました。しかし多摩美は辞退して二浪することにしました。何という心変わりでしょうか。
 自信がついたこともあるのですが、東京芸大というところが天才だけが行く大学ではないと、分かったからです。
 それから二十年になります。気が付いたら母校の予備校の講師になり、自信なさげな生徒達に「なぜ芸大を受けないの?」と話している自分がいました。
 
 足かけ、十六年間この学校で講師を務めさせて頂きました。たくさんの生徒と知り合い、たくさんの刺激をいただきました。本当にありがとうございました。気が付けば人生の半分をすいどーばたと関わっていました。なんということでしょう。
 元生徒の方々に一つお願いがあるのですが、もし私を見かけたら是非自分から名乗って頂けると助かります。顔は覚えているのですが物覚えが異常に悪いので名前までは自信がありません。すみません、、、、。優しく見守ってあげてください。

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20歳の時こんなにやせてました。漁師みたい。

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20年後。こんなになってしまいました。変わるものですね。

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このページは、彫刻科教員が2008年3月24日 17:00に書いた記事です。

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